噎せ返るような血の臭い。
壁一面にぶちまけられた赤いものは信じられないような量のソレだった。
「――――」
発すべき言葉など無い。
ただやってくる虚無を享受するのみ。
おおよそ場違いなそこは、人を捕食する鴉が羽を休めるにはお似合いの場所だった。
…一体どのくらい殺しただろうか。
歩むと決めた復讐の道。
自分を含めたなにもかも、それこそ我が子すら捨ててまで行くと決めた。
それでも。
それでも時々思ってしまう。
――――――なのではないか、と。
そしてその度に自嘲するのだ。
「…何を、いまさら」
ほんとうに、今更だ。
今更振り返ったところでソレが何に成る。
胸を焦がす復讐の灯火は未だ灯ったままのくせに。
一体どの口が――――などと言うというのか。
もとより口にすべきではない。今の自分には重過ぎる言葉。
いいのだ。
とうに「御神美沙斗」などという女は死んだ。
今ここにいるのは人を食い散らかすだけの一羽の鴉。
復讐のためだけに存在する人食い鴉。
あらゆる害悪を振りまくだけの自分に救いなどない。
……もとより、そんなものは望んでいない。
彼らに不幸を。
彼らに災厄を。
彼らに破滅を。
―――彼らに、死を。
それでいい。それだけでいい。
幾度繰り返したかわからない思惟はそこでおわった。
いずれ磨耗し消え去るだろうその思考に、関心などない。
そうして突然、流れるような動きで鴉は立ち上がると手に持つ刀の鯉口を切った。
さっきから数人の気配を彼女の触覚は感知していた。
中の雰囲気を探るようにして動いていたそれらは運悪く紛れ込んだ一般人ではない。
そも、一般人から硝煙の臭いなどするはずもない。
ついさっき壊滅させた組織の残党か、厄介な香港警防隊か、それとも本当に一般人か。
「…関係ない」
自身に沸いた疑念に意味などない。
誰であろうが、何であろうが。
理屈も無い。
理由も無い。
ただ己の存在意義を果たすように
「殺す、だけだ」
そう呟いた次の瞬間。
バンッ!という音が、静寂を破った。
そして、夜闇を切り裂くような爆音と閃光が空間一帯を支配する。
闇になれた目を焼くようなマズルフラッシュ。
無数の銃身から吐き出される弾丸は音速に匹敵する速度でもって鴉を肉薄していく。
頬を、腕を、足を掠めて行く弾丸。
まるで絨毯爆撃のような銃撃に神速を駆使しつつ鴉は人知れず舌打ちした。
――神速とは瞬間移動ではなく、超高速移動のことである。
自己暗示によるリミッターの解除からなる、知覚速度の加速化。
それが神速の正体だ。
また、これが御神の剣士が最強と謳われる理由であり、神速の前では近代兵器たる銃すら無力化してしまう。
だが、先も述べたように神速とはあくまでも高速移動である。
回避路を断つ様に弾丸をばら撒かれれば流石に回避しきれない。
神速状態では知覚速度のみが加速しているのであって肉体速度のそれは完全にはついてはこれていないのだ。
知覚速度を仮に通常の50倍まで加速できるとすれば、肉体速度は5〜10倍がせいぜいといったところ。
肉体自身の防衛本能ともでも言うべきか。
リミッターを解除したはずでも、肉体速度に関してのみはすぐにリミッターのかけなおしが始まってしまうのだ。
人間の脳は通常で30パーセント以下しか使われていない。
その理由が生命維持であるというのは有名な話だ。
人間は本来のスペック、100パーセントの力では活動できない。
よしんばできたとしても次の瞬間には物言わぬ死体が一つできあがるだけだろう。
……そう。骨格や筋肉が100パーセントで動くように作られていないのだ。
火事場のバカ力というのも危険回避によるリミッター解除なのだが、それでも70パーセントほどの力しか出せないし、翌日には重度の筋肉痛に襲われるという。
これは人である限りはどうしても回避できない事実であり、身体を鍛え抜こうとも、そもそも肉体限界強度がリミッターを解除された状態での活動を想定してつくられていないのだから意味を為さない。
無論、御神の剣士もこの例外ではない。
故に御神の剣士に勝とうとすれば己に有利なフィールドに誘い込む他ない。
その一つが室内戦である。
遮蔽物のない場所は論外だし、さりとてありすぎる場所は使用武器が銃である以上不利。
だからこその室内戦。
ここならば神速で縦横無尽に逃げ回られることも無い。
御神の剣士とも同じ土壌で戦えると言えよう。
―――もっとも。御神の剣士も室内戦はお手の物だということを除けば、ではあるが。
「ッ!」
呼吸法のそれに近いやりかたで呼気を吐き出すと、鴉の身体は地面から離れ宙を舞った。
もはや人間技ではない跳躍で天井まで跳ぶと同時に腰に帯刀した刀を刹那の間で引き抜き
御神流 奥義之肆 雷徹
放たれた二刀は事もなげに分厚いコンクリートを破砕した。
下から聞こえる驚愕の声を無視して袖口に隠し持ったアンカー付きの6番鋼糸を飛ばし、破壊した天井から見えるもう一つの天井にアンカーを食い込ませる。
感触だけで度合いの確認をするとそのまま電動リールを稼動させそのまま一息で己の身体を上の階へと移動させた。
―――つまり、逃げた。
そもそも鴉からしてみれば戦う必要性が無いのだ。
香港国際警防隊。
個々人の実力も連携も、正に「非合法ギリギリの法の番人」と言われるもの納得ができるレベルだ。
先には確かに殺すつもりではあったがあまりにも戦力が想定よりも上回っていた。
無論、殺す殺せないを問うならば答えは間違いなく是だが、こちらが負うダメージも半端ではない。
明らかに対御神の戦闘方法を取っていた事からこちらの素性はともかく使う技と武装は割れているといってもいいだろう。
御神の剣士は確かに最強の名を冠してはいたが、それでも生身の人間である以上弱点は存在する。
さっきのはその一つの解と言える。
自分の目的は復讐を果たすこと。
だというのにここで果てては本末転倒である。
巻き上げきったリールの電源を落すと音も無く着地し、鴉は窓の外へと意識を向けた。
……少ない、とはいえないがここで正面切って戦うよりは確実で己に降りかかる被害も少なく済むだろう。
即座に窓から離脱することを決めた鴉は窓から出た瞬間に神速状態に移行できるように神経を集中させ、背を向ける。
「っああああ!!」
――――刹那。身体は全力で回避運動を取っていた。
無理矢理動かした筋肉が悲鳴を上げている。
窓を破壊して飛び出そうと身体は既に重心ともども移動した後だったのだ。
そこからの逆方向への力のベクトルの変換が、どれだけ無茶な行為なのか。
薬で強化している筋肉ですら悲鳴をあげるほどだったことから、その事は容易く想像できる。
ガシャン!という破砕音と共に窓ガラスが砕け散った。
そして闇夜に残る僅かな光の軌跡。
「そっちじゃない。お前の行く道はもはや無い――――ここが、お前の終着駅だ」
僅かに差し込む月の光。
朧気でどこか神秘的なその光が照らし出したのは。
神秘などという言葉からはかけ離れた、黒い凶器。
……ミラーシェードで瞳を隠した黒い男と、その手に握られた自動拳銃だった。
なかがき
というわけで作品交換作「KARASU(前編)」
別に狙ったわけではないのですがennaさんと同じく前後編になってしまいました。
本家本元のennaさんの方では鴉の狂気ともいえる「人喰い鴉」そのものを描かれていたので私は逆に「人喰い鴉と御神美沙斗」の中間で揺れ動く様を書いてみようかな、と思いこういう形になりました。
ではコメントの方を頂きましたのでそちらを。
クレさん'sバージョン、鴉前編完成記念!
ennaのコメントコーナー!(ぱふぱふー)
……とゆーわけでこん〇〇わ、鴉書いてますennaです。
今回はクレさんが鴉を書いてくれたわけですが……銃器扱えるとは、羨ましい……!w
私はそっちの知識が全くないので、専ら近接戦闘担当でありますw
なんか渋いおにーさんも出て来て本格的に戦いそうですし、楽しみにしてますね!
ではでは、ennaからでしたー
ennaさんコメントありがとうございました。
それでは後編の方も読んでいただければな、と思いつつ。今回はこの辺りで筆を置かせていただきます。
美沙斗の前に現れたのは!?
美姫 「緊迫した状態で次回へ」
いやー、続きが気になります。
美姫 「僅かな葛藤を抱きつつも、鴉として進む美沙斗」
いや、何か良いな。
美姫 「本当に。この続きが気になるわね」
ああ。後編を待ってます。