――崩壊していく世界を見つめながら、僕は最後の日記を書いている。

 

これまでの記憶が、脳裏を駆け抜けていく。

 

概算300年ほどの記憶だがよもやたった一瞬で視る事ができるとは…。

 

確か古い文献にあったな。走馬灯、だっけか。

 

いやはや、先人達の知識は偉大だなと改めて思う。

 

賢邪の遺思。

 

かろうじて封印は施したがそれも永遠ではない。……明日華と夜宵には迷惑を掛けてしまう。

 

ああもう。本当に僕は最低で最悪な―――親だ。

 

僕の永遠はここで幕を閉じるけれど、僕の娘達の永遠はこれからも続いていく。

 

僕にできることは……祈りをここに記すことだけ。

 

 

 

賢き者よ。邪なりし者よ。その遺思よ。

 

願わくばそなたに安息の眠りを。

 

優しき者よ。強き者よ。誇り高き誓約の騎士よ。

 

願わくば………そなたが我が娘達の救いの主であらんことを切に願う。

 

いつか娘達にも安らぎの日がきますように、と。

 

 

 

 

                                    ――『日記』255ページより抜粋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第7話 『賢者の意思/賢邪の遺思』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

威圧感と濃密な魔力が満たす部屋の中で。

いつの間にかデバイスから人型へと変化した二人の妖精が、顔を俯かせながら何かに耐えるように、身体を起こした。

「自分が、何をしたのか……」

「自分が、何を起こしたのか…」

「「貴様は!本当に判っているのか!?」」

発せられる怒号。この異質な空気の中にあって尚、彼女達の声はそれでも一滴の清浄な水のように広がっていく。

声は空気を震わせ邪気を払い、しかし払われた邪気の何倍もの怨讐が押し寄せる。

発生源は言うまでも無く、本を従えたあの少女に他ならない。

今は瞳を閉じたまま彼女の周りに浮遊する無数の本のページが凄まじい勢いで捲られていっている。

「ああ、勿論だとも。もともとカイに教えたのは私なのだからな」

そんな纏わりつくような邪気の中にいて、それでも目の前の男――ロヴァート・A・ネイル――は表情も気配も……立ち振る舞いも変えない。

事実を語るように淡々と言葉を紡いでいく。

「「……」」

「あの少女がアルハザードのコアを再結晶化したものであり、故にアルハザードそのものであるということも。あの中にはアルハザードに存在した全ての叡智が納められていることも――」

「「……違う」」

言いながら彼女達はそろって首を振った。

そこから先は実に聞き飽きた言葉だろうと予測できた。

何度も何度も、何度でも。

嫌というほど聞かされてきた彼らの欲望の坩堝。

耐え切れないと、そういう感情をありありと想起させる表情で明日華と夜宵は男の言葉を遮った。

「「違う。あれは、あれは貴様の思っている様な―――」」

ものではない。

そう言い掛ける。あれはそんな奇蹟を起こせるようなものではないと。

だが、ロヴァートの口から再度漏れた言葉は彼女らの予想とはまるで逆をいく言葉だった。

 

 

「――そして起動後、正常(、、)()暴走(、、)する(、、)こと(、、)()な」

 

 

「「な!?」

開いた口が塞がらない。自身を襲った驚愕は思考を削ぎ取る鑢に他ならなかった。

そんな彼女達を見てロヴァートはただ笑んだ。

それは微笑でもなく、嘲笑でも哄笑でもなかった。

壊れた、笑顔。

致命的なまでに何かが抜け落ちている笑み。

人形が浮かべる人工的な笑顔より遥かに虚無。遥かに希薄。

彼が浮かべていたのはそういった笑顔だった。

「そこまで知っているのなら何故っ!」

声を荒げる明日華にも彼は視線を向けるだけ。反論すら彼の口からは語られない。

壊れた笑顔を浮かべながらロヴァートは今まだ瞳伏せたままの本の少女に目をやる。

「こんな仕事をやっているとな、どうしても夢見てしまうことがあるのだよ。世界平和、というヤツをな」

 

それは、遠い出来事を話す様に、緩やかで

 

「もちろんそれは理想でしかなく、実現することのない夢だ。人間が人間である以上、叶うことはない」

 

絵本を読み聞かせる親の様に、温かで

 

「だからできる範囲で平和な世界を、と。そう誓い合って生まれたのが“久遠の末裔”だ」

 

咎人がする懺悔の様に、悲しげで

 

「名はかつて、もっとも永きに渡り平和を維持し続けたアルハザードから。その理念を継ぐものになろうという誓いを込めて」

 

聖者がする祈りのように、清らかで

 

「だがそれも永くは続かなかった。少しずつ、少しずつ、目的がずれていった。……終いにはアルハザードの秘宝を求めることがこの組織の存在理由に掏り返られていたよ」

 

語られていく言葉はしかし、全てが虚ろ。

 

「笑い話だよ。あれほど確かに誓い合ったというのに、そんなものまるで意味がなかったどころか簡単に貶められた」

 

そこには絶望もなかった。怨嗟もなかった。あるのは、ただ――

 

「だから決めたのだ。私一人でも、誓いを護ろうと。そうして出た結論が」

 

 

 

――例えようもないほどの、奈落。

 

 

 

「人間など、不要。人間などいなければ、そら。世界はいつまでも何処までもそれこそ永遠に平和なままだ」

 

 

 

 

部屋を満たしたのは沈黙でもない、停止。

事実この瞬間だけは時が止まっていたのかもしれないと錯覚するほどに。

そして時間の空隙を無かったことにするかの如く、空気は動き出し、直後に湧き上がってくるのは先程の怒気を軽く上回る怒気。

その中心点は

「ふざけるな……ッ!!!」

地に膝を突きながらも身体を怒りで鼓舞して、抜け出た力を呼び戻しながら立ち上がる恭也に他ならなかった。

「そんな、そんな子供のような理屈で!」

それでも彼は笑顔のまま。恭也の怒りも、目の前にある出来事すらまるでどこか遠い世界の出来事であると言わんばかりに。

「まあそれすらどうでもいいことだ

 もっと単純な理由だ。そうさな、きっと私は」

言葉が一瞬だけ途切れた。

ただ、その間にだけ初めてロヴァートの感情があった気がした。

それが何なのか。どんな意味を持っていたのか。

正なのか、負なのか。

しかし誰にもわからぬまま、誰にも理解できぬまま。

言葉は世界に生まれ落ちる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――何をしても変わり映えしない世界に、飽きたのだろうよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言葉には一切の躊躇いもなく、一切の感情もなく、ただ壊れた笑顔だけそのままで。

彼はそう言い切った。

 

同時。

恭也の表情が完全に消え去った。

熱が引いていく。怒りが引いていく。飽和点を超えた怒りはもはや怒りですらなかった。

全身をかけめぐる血液の音が聞こえる。

指先を僅かにずらすだけで筋肉の動きが、骨の駆動が、間接の軋みが、神経の迸りが、恭也の耳に届く。

身体はただ殺すためだけの機構に書き換えられていき、思考はもはや一つのことしか考えていない。

感情は奥底へと沈み、両手に握る得物の感触だけが確かに感じられる。

今。この時をもって。

目の前の男、ロヴァート・A・ネイルは。

「貴様は、絶殺だ」

正真正銘、『御神』の敵へと変貌した。

 

もはや周囲を取り巻く濃密な邪気など感じなかった。

恭也は静かに身体を起こし、両手の剣を構える。

殺気はもはや邪気を押し退ける勢いだ。

彼の意識は対象の絶殺にのみ向けられている。

――だから気付かなかったのだ。

件の少女の瞳が、開いていた、ことに。

 

 

 

『契約履行』

 

 

 

唐突に。

どこかデバイスのような無機的な声が恭也の耳に届いた。

その声がトリガーとなり少女の周りを舞っていた本の一冊が一瞬のうちにロヴァートの眼前に移動する。

そして軽やかなページが開く音が空気に溶けて

コンマの間。とあるページで捲る音が止まり

瞬きにすら満たぬその時間で、ロヴァートという存在は本から現れた黒い顎によって喰われていた。

「な…に」

骨を砕くような音を伴った咀嚼音が、神経を刺激してくる。

音から感じる嫌悪感がどうしようもなく不快だった。

研ぎ澄まされていた怒りも大部分が削がれ、残留していた怒りはもはや向ける対象がいない。

行き場を失った感情はすぐさま理性での冷却が始まるが高ぶっていた怒りがいかにそがれようとも簡単に鎮まる気配が無い。

それはそのまま感情の空白、つまり行動の停止へと繋がる。

確かに数秒の間でしかない空隙だ。

しかし時としてその数秒が、運命を分ける分岐点と化す。

『データドレイン終了。不足分のデータ補填完了。情報連結開始』

言葉に倣うように先ほどロヴァートを喰った本のページがみるみるうちに増えていく。

やがてそれは他の本と遜色がない厚さの一冊の本と変化し、表題に新たに文字が書き加わる。

本は少女の周りは飛び回り始め更に一冊の本が手を掲げた先に現れる。

その本には表紙部に大きく、剣十字のレリーフが装飾されていた。

見覚えがありすぎる、一冊の古書。

そう。あれは、あの本は―――

 

 

 

「恭也さん!………!?」

そこに聞こえてきたのは、聞こえてきてはいけないはずの声。

これ以上ない最悪のタイミングで、はやては恭也の名を叫びなかがら魔窟と化した部屋へと入ってきていた。

だがそこまでだ。

部屋一面に撒き散らされた赤い色とその正体に完全に動きが硬直してしまっている。

血で染まった部屋に両手に剣を持って立つ恭也と少女。

普通に考えればこの光景を作り出したのは恭也だとするのが当然であろう。

魔法を使えるとはいえ、幼い少女でしかないはやてにこの凄惨な残影は酷すぎた。

その証拠にガクガクと膝が笑っている。

気絶しないだけでも驚嘆に値するだろう。

だから露ほどにも思わない。

“これ”を作り出した主が、この少女についさっき喰われたなどと。

そして次の獲物が――自分だということも。

『データ照会。古代ベルカ式の保有者(ホルダー)と判断。データドレイン開始』

先の本は残像を残しながらはやての眼前へと移動した。

少女が指先を向けるまま、本はその顎を開いていく。

そうして少女が導くままに。

黒い顎はぎちぎちと筋肉を引き絞るような音をさせながら、獲物へと襲い掛かった。

「ひ!?」

反応など望むべくも無い。

悲鳴をあげるのがせいぜいなのだ。

それほどまでに黒い顎は、八神はやてには速すぎた。

次の一瞬を迎えた先には顎に噛み砕かされ咀嚼され飲み込まれる自分しかない。

はやてではこの未来を享受するしかない。

いや、誰であり同じことだ。

この未来を回避するには……誰かが身代わりになり他ない。

 

「……え?」

 

だから、今なおはやてが声を上げられているということは即ち。

 

「きょ、うや……さん…?」

 

誰かがはやての運命を請け負ったということ。

 

 

「血…が」

「ッ…。だから、にげろと……いっただろうに」

恭也はしかしそこに未だ生きたまま居た。

死の運命を回避したのはきっと彼の眼前で砕けていく二重三重の白い障壁のおかげか。

黒い顎は大部分を失いつつも健在で、恭也の肩口に犬歯を食い込ませている。

バリアジャケットを貫通した箇所からは血が溢れていた。

恭也はじくじくと身体を侵す痛みを歯を食いしばることで押さえ込み、逆手に持った剣を一閃。

未練がましく食いついてくる異形を一刀の下に斬り裂く。

それで異形は消え去ったが恭也の視線は未だ本を従えた少女から離れない。離さない。

後ろから感じるヴォルケンリッターが追いついてきた足音と、はやてのいまだ混乱の収まっていないだろうにそれでも血を流す肩に向けられた心配そうな視線を感じながら手に馴染ませるように剣を握りしめる。

本は未だ開いたままで、少女には欠片の変化も見られないのだから。

はやてを庇うべきではなかったと恭也の中の“不破”は言う。

今現状で、賢邪の遺思――アルハザードには敵わない。

魔力も底を突き始めカートリッジも残り少ない。

仮に全快状態であっても恭也では覚醒したアルハザードには敵わないというのに。

体力は限界領域寸前で、血が流れていくのといっしょに体力もどんどん減っていっている。

庇わずこの戦闘領域から離れるのが正しい選択だったと恭也にだってわかっているのだ。

それでも、助けずにいられなかったのは思い出してしまったから。

黒い翼を持った、心の奥底に罪の意識を抱き続けていた優しすぎる歌姫を。

恭也がはじめて護りたいと思った女性。

呪いは解かれ、白くなった翼を羽ばたかせた彼女は今も歌を歌っている事だろう。

世界中の人に、やさしい歌を届けるために。

そんな彼女とはやてがあの時一瞬だけ重なって見えた。

黒い翼を震わせて怯えるはやてが、自分の翼を呪いと怯えていた彼女と。

だから無意識のうちに不破恭也はいつの間にか高町恭也へと立ち還っていたのだ。

そして自然と身体を盾にしてはやてを護っていた。

立ち還ってしまった以上はやてを見捨てるという選択肢はもはや無い。

どうにかして全員無事にここから離れる方法を脳内の演算能力をフル稼働させて思考を尖らせる。

『捕食による直接蒐集失敗。次候補を選択→決定。

 <倉庫>端末“夜天の魔導書”に強制アクセス開始』

掲げた指先が指すのは恭也の後ろにいるはやて――その、リンカーコア。

「あ、く、うううぅぅぅうああああああああ!!?」

直後に指先から放たれたレーザーポインタのような光線は恭也を透過しはやてのリンカーコアだけを正確にポイントした。

それに伴い現れた刻印のような幾何学模様がはやての胸に刻まれ、中心に開いた円から先から白色のはやて特有の魔力光が漏れ出す。

奇しくもそれは闇の書事件でシャマルが旅の鏡で行っていたリンカーコア蒐集と酷似しすぎていた。

違うのは一点。

あの時と違い、蒐集するのはリンカーコアのデータではなくリンカーコアそのものだということだ。

故に感じるのは壮絶な違和感ではなく、耐えがたい激痛。

それも当然。

少女は間違いなくリンカーコアを抉り出そうとしている。

言い知れぬ痛みに苦しむはやて。

そんな己の主の苦しむ姿を見て、守護騎士達が黙っているはずも無かった。

「てめえ!」

「その手を――!」

「――離さんかっ!」

奔るのは三つの閃花。

光がはじけるように、花が芽吹きから覚めるように魔力が咲き乱れた。

踏み込む足と、舞う体躯。

螺旋を描きながら標的に迫るソレらは鬼神の如く。

一人は拳を。一人は剣を。一人は槌を。

各々の殺意を纏った武器はこの時はじめて凶器と化す。

しかし、自身に迫る死の代行者を見ても少女は虚ろな瞳のまま見つめ返し

防げ(デフィーセ)

未知の言語を口にして、それだけで彼らの殺撃を掻き消した。

弾き飛ばされる姿を視界にいれて少女は更に手を振るう。

解け(ディゾルーティオン)

言霊に導かれるままに事象が顕在化し、顕れた黒い三つ首の顎が一拍もおくことなく襲い掛かる。

対する彼らも、体制を崩しながらも武器を構え障壁を張り巡らすことで自身を襲う攻撃を防ごうと備えるが

三つ首の顎が大きく開き、障壁ごと噛み砕かんとばかりにせまる敵影を見据えたところで参謀たる彼女ははっとした。

「だめ!避けて!」

「ちぃっ!」

シャマルの口から漏れた言葉は悲鳴。顎はもう障壁の寸前まで繰り出されていて今からでは回避など望むべくもないことに気付いている。

恭也の口から漏れたのは舌打ちと、含まれた微かな焦りと迷い、そして決断。

己の世界をモノクロに染め替えてシグナム達の元まで一足で駆け寄り両手の二刀で軌跡を刻んだ。

高速で振りぬかれた白と黒の双剣は寸分違わず黒い顎の異形を切り裂く。

直後聞こえたのは硝子を砕くような破砕音。

「みんな、今は下がって!」

「は!?何言ってんだよシャマル!あいつをどうにかしねーとはやてが――!」

『下がりなさい紅の鉄騎!プログラム体のあなた達はあの攻撃に触れただけで欠けらも残らず消滅します』

「どういうことだ!?」

「お願い下がって!あれは、私達の天敵なの!」

『“ディゾルーティオン”は“解体”という意味。つまりあれはプログラムに対する強制結合解除のワームウィルスそのものだ』

「っ。……事実かシャマル」

「え、ええ。言葉の意味まではわからなかったけど、あれがウィルスなのは本当よ」

真実それはその通りのものだった。

“全てのロストロギアはそれ単体では本来の意味を為さない”というロヴァートの言葉の通りに、『賢邪の遺思』―アルハザード―とは全ロストロギアの管理プログラムに他ならないのだ。

全てのロストロギアの頂点に立ち、それでいて完全に制御する。

それこそがこの『賢邪の遺思』の正体だった。

故に夜天の魔導書もコレにとっては単なる制御端末。

解析すれば容易く守護騎士の構造プログラムを割り出し、逆に利用して完全に破壊するプログラムを組み上げるなど児戯にも等しい。

どんなに人間らしく見えても、血も流そうとも、彼女達はあくまでもプログラムによって構成され、具現化された存在にすぎないのだ。

だからこその天敵。

自身の存在そのものに対する直接(ダイレクト)攻撃(アタック)が可能なウィルスが。

「でもっ!じゃあ、アタシたちはまたなんもできねーのかよ!!はやては、また苦しんでるんだぞ!!?」

「「「ッ……!」」」

ヴィータの涙ながらの願いのような叫び。

思わず胸をかきむしりたくなるような衝動を覚えるような言葉と感情に歯を食いしばりながら俯く。

その手は行き場の無い感情をもてあますかのように、はたまた己の不甲斐なさを嘆くように、血がにじみ出るほどにまで強く手が握り締められていた。

また何もできない。

闇の書事件を想起せざるをえない事実を突きつけられた彼女達の心情は察するなどと言う事すらおこがましい。

だから言葉を投げかけるのなら、それは優しい言葉でなければならない。

そう、慰めでもなけれ同情でもない、優しい言葉を。

それができるのはこの場においてたった一人だけ。

 

「……思い出せ。お前達守護騎士は、もう一人いるだろう」

 

恭也の言葉が言い終わるや否や、少女の表情が僅かにだけ怪訝そうに動いた。

守護騎士達もそれらが意味するところを知ろうとして俯いていた顔をはやてに向けた。

――そこには、黒い光を遮るように蒼銀の光が輝いている。

瞬時に思い描けたのは小さな小さな、最近できた自分達の新しい家族の姿。

まるで童話から抜け出たような愛くるしい妖精。

リインフォースと瓜二つな彼女はまるで妹のようでもあった。

『はやて、ちゃんは……マイスターはやては、わたしが護るです……!』

幼すぎる体躯を震わせながら、しかし誰よりも力強く。はやてを護ろうと全力で黒い魔光に抗う。

一瞬でも力を抜けば自分ごと粉砕する力を前にしてリアは一歩も引かなかった。

『……だから!……ここ、からっ!』

リアの想いの力が顕現するように、蒼銀の光は遮るどころか逆に侵食していく。

魔を払う、聖なる光のように。

 

――守護騎士であって守護騎士でないもの。

それはリインフォースを、そしてはやてを守護するために生まれた小さな妖精の持つ特別な力。

あらゆるリインフォースへのアクセスをシャットダウンし、バックアップするアンチプログラム。その化身たる妖精がリアだ。

 

輝く光はいつの間にか、眼を焼くほどの烈しい閃光と化していき

『出て行ってーーーーーーーーーーーーーーーー!!!』

黒い魔光を、粉砕した。

先と同じく部屋に反響するような破砕音が協奏する。

はやての胸にあった黒い刻印は魔光とともに消え去り、力を失ったままの身体が倒れるがすかさず駆け寄ったシグナムによって支えられた。

『アクセス異常終了を確認。原因不明。安全確保のため端末ナンバー1023445の放棄を推奨する。――全思考承認で一致』

脳に直接響くような声でそれだけ言うと少女は掲げていた腕をようやく下げた。

だが、それが直接少女の行動が終了したことを意味するわけではない。

『古代ベルカ式の補填は失敗。誤差許容範囲内。規定プログラムを元に行動を選択→実行』

下げた腕を今度は翼を広げるように左右に。

付き従うようにして少女を中心としてありえない魔力が渦を捲く。

部屋の外装など、一息で吹き飛んだ。

『ネットワークによる検索を開始。現代の次元海に存在する950378361723の次元世界におけるアルハザード文明の浸透度を計測』

リインフォースが巻き起こした魔力の嵐などとは比べる対象にすらならない。

空間そのものを圧迫するそれはもはや一つの災害だ。

恭也は屈みながら剣を突きたて吹き飛ばされぬよう耐え続け。

守護騎士達は自身の身体を盾として、はやてを護るようにしながら耐えていた。

『検索および計測終了。浸透度総計0.01%未満』

少女の口から聞こえてくる無機質な機械のような言葉。

感情も何も篭らないはずの声。

だというのに。

聞こえてきた言葉は何故か、殊更に、無機質だった気がしてならない。

奈落のそこから響くようで、それでいてどこか失望を孕んだ。

負の感情の坩堝が言語化されたソレは単純に恐ろしい。

『最上位プログラムからの命令受託。全機能開放。』

そんな思考が脳をよぎる中、新たに聞こえてきた言葉は確かに少女の口から漏れた鈴のような声。

美しく、綺麗な。

さっきまでとは正反対の。

歌姫が歌う時のような声で、少女は軽やかに告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

偽り(ルーイン・)(ゼクト・)文明(シヴィリズィオン・)(オス・)滅ぶ(リィメー)べし()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「逃げろ!はやくっ!!!」

気付いたときには恭也は叫んでいた。

大気を震わせるような咆哮は気付けの役目を果たし、虚に突かれていたヴォルケンリッターの覚醒を促す。

「な、なに言って」

「いいからはやくしろっ!はやてを死なせたいのか!!!?」

「ッ!だ、だけど」

「同じことを何度もいわせるな!!!」

「――わかった」

「シグナム!?だけどアタシたちはキョウヤを」

「シグナムの言うとおりだ。この際ヤツのことは置いておくしかない…お前にもわかるはずだ。この異常な魔力の流れが」

「ザフィーラ……ちっ!キョーヤ!あとできっちり聞かせてもらうからな!ついでにはやて泣かせたんだからぶん殴る!!!」

ヴィータに恭也は答えなかった。しかし口元に浮かべた苦笑がなによりも彼女の言葉に答えていたと近しいものならばわかるだろう。

それからの行動は迅速だった。

ヴォルケンリッターは魔力の嵐に巻き込まれないよう強い魔力を身に纏わせて現領域から離脱していく。

あとはシャマルによって転送を行えばひとまずアースラにまでは退避できるだろう。

多少魔力の乱れがひどいため魔法行使は困難だろうが彼女ならば問題なく行えるはずだ。

「…明日華、夜宵」

『はあ……マスターは無茶がお好きなんですね』

『主は人使い、もといデバイス使いが荒いです』

「――すまん」

恭也が残った理由は単にそれだ。

確かにアースラまでは逃げ切れるだろうが、それ以上はムリだ。

そしてまた今アースラが居る所はアルハザードの射程範囲内なのだ。

加えてここはミッドチルダのコアの付近。

こんな場所でアルハザードが事を行えば――――――ミッドチルダという星は、死ぬ。

今まで久遠の末裔がやってきたような星の位相をずらすためにやった部分的な破壊とはレベルが違う。

文字通り、星が死ぬ。

それが意味するところはこの星に住む数多の人が一瞬にして死ぬということに他ならない。

『不破』恭也であればそれでもよかったかもしれない。

しかし今ここにいるのは『高町』恭也だ。

護るためにある恭也である以上、ここで退く理由は存在しない。

いい意味でも悪い意味でも彼は誰かを護るためにある剣なのだから。

……今も、まだ。

『マスターではできませんので私達が術式と起動をやります』

『主は気をしっかりと持っていてください。かなりの魔力をもっていきます』

デバイスの姿から人の姿へと変わった二人を見据え頷いた。

そして瞳を閉じることで集中力を底上げする。

実際に行うのは恭也でないにしろ、恭也が集中すればするほど施術は早く行えるのだから。

彼女達が行うのはあくまでも補佐でメインは恭也なのだ。

魔法を使うための処理をデバイスに一任するというだけで実際の演算では恭也を介しておこなわれている。

このあたりは普通のデバイスとなんらかわりはない。

準備は整った。

それは向こうも同じだったのか。足元に魔法陣が浮かぶのはまったく同時。

浮かんだ魔法陣は、どうしてか両者ともが同じだった。

―――天球図。

恭也とアルハザードたる少女が浮かべた魔法陣は共に天球図を模した三次元魔法陣。

今まで幾何学模様としか判らなかったものがここにきて、はっきりと天球図に見える。

天球図に浮かぶ星々がゆっくりと軌道に沿って動いていく。

そのスピードは僅かに恭也達の方がはやい。

圧力が増す魔力に恭也の額を汗が流れ落ちた。

圧迫されているのは全身。それはつまり膝にも否応なく負荷が掛かっているということ。

連続して行使した膝は泣き叫んでいるというのになお加わる苦痛を言い表すには、言葉では到底足りなかった。

恭也は悲鳴も苦悶の声一つあげない。ひたすら歯を食いしばって耐え抜こうとする。

一度声を上げれば決壊してしまいそうな何かを押さえ込むように。

一心に砕けぬ剣であり続けようとして。

……ただ、恭也の姿を目端に捉えた時の明日華と夜宵の顔はどうしてか悲しげだった。

そんな表情もまるで蜃気楼か幻だったかのように今は無い。

毅然として眼前の少女を見据えている。

いつの間にか足元の星々は一直線に並んでいた。そしてそれは、魔法の完成を意味する。

 

『『空間、転送ッ!』』

 

アルハザードの少女のようなこの場には到底不釣合いな可憐な声。

トリガーワードは引かれ、撃鉄が落ちる。

重なるように、少女の周りの空間がぐにゃりと歪曲を始めた。

周辺の計器や床板などの周辺物を巻き込みながら歪曲は止まらない。

 

 

少女だけを転送することは不可能だった。

渦巻く魔力は同時に外部からの魔力干渉を阻害している。故に対象への魔法の一切は通用しないことになる。

一点に絞った魔力攻撃ならば通るのかもしれないがいま必要としている魔法はそういう類のものではないのだ。

必要としているのはアルハザードの少女をここでないどこかに飛ばすこと。

しかし少女そのものをとばすことはできない。

なら――――空間ごと飛ばせばいい。

 

 

空間は歪曲を繰り返し、やがて座標軸そのものが歪みだす。

座標軸が不安定になったところに明日華と夜宵はさらに魔力を流し込んだ。

そして最後に一度大きく空間が唸り、捩れ。

歪みとともに少女は送られていった。

行き先は次元海のどこか。緊急事態であったし空間転送自体が高位魔法に分類されるため細かな設定はできていない。

ただ漠然と遠くに、とだけするのが精一杯だった。

「っぐ!……っつ」

安堵する間もなく、すさまじい虚脱感が恭也を襲う。

踏ん張っていた足はもろくも崩れ、地に膝をついてしまう。

ロヴァートの毒も抜けきらぬ状態での大立ち回り。

はやてを庇ったことによる肩からの出血。

空間転送なんていう大魔法を行使したことによる魔力枯渇。

限界などとうに超えていた恭也の身体は生命維持を最優先として、身体の動きを強制停止においやったのだ。

床に伸ばした手にも力が入らず倒れそうになるのを駆け寄ってきた明日華と夜宵がそっと支えた。

休む身体に反抗してこれからの方針を考えようと頭を働かせようとしたが身体からの強制力にはやはり抗えず、そのままゆっくりと眠りへと落ちていった。

 

 

眠りに落ちた恭也を優しく見つめていたのは明日華と夜宵。

目を見合わせひとつ頷き合い、恭也の耳元にそれぞれ何事か呟くと恭也と彼女達の姿もまた魔法の光に包まれながらその場から消えていった。

 

「おやすみなさい、マスター」

「今は一時の、休息を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――明日華と夜宵によって飛ばされた『賢邪の遺思』は二度閉じた目を再び開いた。

瞳に映るのは星の瞬く次元海とも宇宙ともよばれる穏やかで広大な海の中。

ゆっくりと彼女は腕を頭上に向けて掲げた。

やろうとしていることはなんてことはない。さっき明日華と夜宵、そして恭也によって中断された行為の続行だ。

足元には大きな天球図を模した魔法陣が浮かび上がり少女を包み込む。

星はゆっくりと螺旋を描き、同じように掲げた手の先に長い、長い魔力の集合体が構成されていく。

彼女の手にある出来かけの大きな槍は、見るものが見れば驚愕を通り越して恐怖を抱くほどの魔力構造体だった。

先の恭也達同様に足元にある星が一直線に並ぶ。

手の先にあった槍はもはや少女の身の丈の数百倍にも及ぶ巨大な凶器へと変貌を遂げた。

少女は視線を動かし、肉眼では到底目視できないはずの対象をしかし確かに捉えている。

身体ごと向き直り、手を動かし角度と方向を整える。

そして、それが決まりごとであるかのように。もう一度、さっきと同じ言葉を紡いだ。

 

 

偽り(ルーイン・)(ゼクト・)文明(シヴィリズィオン・)(オス・)滅ぶ(リィメー)べし()

 

 

言い終わる前に、手にあった槍はすでに放たれていた。

槍は正確に目標へと到達する。

激変はそれから数秒の後に起こった。

空間が、歪んだ。

いや歪んだというよりは捩れたというほうが正確だろう。

槍を軸にしてそれぞれが逆方向に捩れ始める。

 

 

くるくる

 

くるくる

 

ぐるぐる

 

ぐるぐる

 

歪み、歪んで

 

捩れ、捩れて

 

廻り、廻って

 

廻り、廻る。

 

それはまるで螺旋(ネジ)のように。

 

それはまるで螺旋のように。

 

終ることのないワルツのように。

 

(とま)ることのないワルツのように。

 

されど幕引き(エンドロール)は訪れて

 

王様は、死にました。

 

 

歪曲限界に達した空間はとうとう崩壊し、次元のさらに先。

虚数という異界が槍の向こう側から現れた。

かつて槍があったそこにはもはや何も無く、あるのはただ外に出ようとする異界への亀裂。

虚数という“あるがない”という概念だけの世界。

生み出された次元断層は容赦なく、周辺一体にあったものを全てを飲み込んでいった。

広大な海に出来た小さな傷痕。

次元断層という傷はいかなる力によってか、癒されることは無く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――星が一つ、死んだ。





とんでもない力を持った少女。
美姫 「アルハザードに対抗する手段は果たしてあるのかしら」
倒れた恭也も気になるな。
美姫 「一体、どうなってしまうのかしら」
次回も楽しみにしてます。
美姫 「待ってますね〜」



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