――薄暗い一室。照明はその殆どが落され、明滅する機械類の稼動音だけが一帯を支配していた。
「来ましたか」
「ああ、そのようだな」
薄闇の中でなお鮮やかな白の色彩を放つ少女がそうひとり告げると、反応するようにこんどは薄闇の中から声が聞こえてきた。
そこに居たのは黒の色彩を放つ少女。纏う黒は夜の色。だからまるで溶け込むように闇の中で佇んでいても外からではわからなかったのだろう。
部屋の中心に光が灯った。
灯った光はまるで何かを描くように走り回り、やがて書き上げられたのは天球図。明日華と夜宵、そして恭也が使う魔法陣そのものだった。
魔法陣には魔力が循環し、書き込まれた事象を顕現させる。
次の瞬間に起こったのは目を貫くような閃光。
炸裂した魔力はその余剰分が飛び散り、部屋の照明魔法を反応させた。
一斉についた明かりに一瞬だけ目が眩む。だけどそれもほんの少しの間のこと。すぐに慣れた瞳はそこにいつの間にか現れていた人影を写していた。
明日華と夜宵の口元に笑みが浮かぶ。そうしてそのまま、深々と目の前に佇む彼ら――なのはとフェイト、はやてと守護騎士、クロノ、ユーノ、リンディに対して一礼した。
「「ようこそおいでくださいました。私達の城に」」
第８話 『過去／ＰＡＳＴ』
長い机を間に挟んで、なのは達と明日華達は対面していた。
おのおのの前にはまだ湯気が立ち上る紅茶がソーサーにのせられている。
しかし誰も手に取ることはなく、沈黙だけが降りていた。
「………あの」
どこか重苦しい雰囲気の中、おずおずとなのはが口を開いた。
「お兄ちゃんは……？」
「そ、そうや！恭也さんはどないしたん。姿が見えないんやけど」
「も、もしかして…」
彼女達のどこか初々しい反応に、問いを投げかけられている明日華達だけでなくクロノ達も苦笑してしまっていた。
クロノにしてみればここに呼ばれた理由等を考えるだけで胃が痛くなるというのに。
「ご安心下さい。マスターなら無事ですよ。でなければ私達もこうやって顕在化できるわけないですし」
「ただ傷や毒が深かったので少し別室で治療を受けています。……申し訳ありませんが面会はできません」
聞いて、ほっと息をついた。
なのはやフェイトは勿論のこと。はやてに至ってはボロボロなまでに消耗していた恭也を目撃している。心配しないという方が無理な話だった。
確かに面会できないのは残念ではあるが、こと彼女達が自身の主たる恭也のことで偽りを口にするわけもない。
……それとはまた別な意味合いでも、きっとそうだろうと確信していた。
「さて。では本題に入りたいのだが」
「ええ。構いませんよクロノ執務官にリンディ提督。どうぞ」
「では。―――今回の会談はあのロストロギアのことで間違い無いでしょうか」
「それ以外に何が？」
「……ですね。では説明していただけると判断しても？」
「はい。今まで伏せてきた意味ももう無くなってしまいましたし。現状で被害が出た以上、説明せざるを得ません」
「「「ッ！」」」
被害。
あれを被害の一言で済ませてしまって良いのだろうか。
管理局の地上本部は半ば壊滅。局員の死傷者含め重軽傷者多数。管理局上層部のほぼ全員の死亡。
なによりも
「星が……次元世界の一つが消滅したんだぞ！？それを被害の一言で済ますのかっ！！！」
あの時、起動した『賢邪の遺思』の放った“次元歪曲刀”。それによって一つの星が消滅したのをクロノ達はアースラからリアルタイムで目撃していた。
アースラだけではない。あの時、次元航路上にいた全ての艦が目撃した。
「確かに。ですがそれが自業自得だということぐらいは聞き及んでいるはずですよね？」
「……くそっ」
帰還した守護騎士からの報告を元に調査した通り、あれを起動させたのはあくまでも管理局上層部の“久遠の末裔”という組織だった。むしろ彼女達や恭也はそれを止めようとしていた側である。
もし奴らがいなければ、こんな被害はでるわけがなかったのだ。
とは言うものの一切の説明を断っていたために彼女達としても大きく言うことはできないのだが。
「クロノ落ち着きなさい。……部下が失礼をしました」
「いえ、ではお互い様ということにしましょう。私達もこんなことを議論するために呼んだわけではありませんし」
「でなければアースラにわざわざハッキングしたりはしませんよ」
事も無げに言う夜宵の言葉がしかし、なのは達がこの拠点にまできた理由でもあった。
目の前で起こった星が砕けるという惨状に誰しもが口を閉ざしていたところにいきなり届いた外部からのメール。
管理局のセンターを介さないで届くという、もう誰が何と言おうとハッキングなそれに書いてあったのはしかも僅かな文章だけ。
座標数字と高町恭也の名前だけしか書いていなかったそのメールは彼女達を大きく動揺させた。
数時間前に地上本部に強襲をかけ、そのまま行方不明になっている人物からのものだ。
しかし意図がまったく見えない。罠かともおもったが守護騎士達からの報告からすればそれも微妙。本部に指示を仰ごうかとおもったが本局の方も大忙しでそれどことではなさそうだ。
結果下した決断は、「不明瞭なロストロギアについての情報収集を行う」というものだった。
そうして今、彼女達はここにいる。
再びの沈黙。
リンディ達はじっと明日華達が口を開くのを待っていた。
陶器と陶器が触れ合う音が沈黙を切り裂くように鳴り響く。
ふう、と息を着いてから明日華と夜宵は顔を上げ視線をリンディ達の交わし――口を開いた。
「アレは『賢邪の遺思』…………アルハザードと呼ばれるものです」
「「「！！？」」」
「アルハザードですって！？」
「なっ！？」
“アルハザード”
かつてあったという伝説の魔導都市。
そしてプレシア・テスタロッサが愛娘アリシア・テスタロッサを蘇らせるためにおこした通称PT事件の根幹にあったもの。
その際たる関係者だったフェイトはその言葉を聞いた瞬間凍りついたように体を強張らせた。
「フェイトちゃん！」
「フェイトっ！」
すかさず駆け寄ったのはなのはとアルフ。共に深く事件に関わり、一方はフェイトの心を救い、一方は側にいることでフェイトを支えたその二人だった。
両脇から感じる暖かな心の鼓動と体温がフェイトに流れていく。
段々と体の強張りもとれ、顔にもぎこちないながら二人に対する笑みを浮かべていた。
「……うん。もう大丈夫だよ」
「フェイトちゃん……」
「フェイトぉ…」
「それに、もしあれがアルハザードなら……私は聞かなきゃいけないと思うから」
そう言って確りと己の足でフェイトは立ち上がった。
心の中で暴れそうになっている感情をありったけの精神力で押さえ込みながらそれでも両の瞳で明日華達を見つめている。
「続きを、お願いします……」
フェイトの言葉に二人は同時に頷き、言葉を続けた。
「――はい。ではお話します、全て」
「アルハザードの歴史の全てと、あれが生まれるに至った経緯の、その全てを」
そこは何の変哲もない、小さな世界だった。
無数にある中の一つの次元世界。
特徴があるとすれば、その世界の人間は何かを学ぶことを他の何よりも好んでいた。
争いはあり、誰かが誰かを傷つけるということもあった。
そのあたりは他の世界と変わらない。
それでも、多少はマシだったのかもしれないが。
ただ彼らはそんな暇があれば、一つでも多くの事象を解明しようとしていたから。
実際、彼らはよく学んだ。
哲学、神聖学、医学、文学、政治学、自然科学。そこから派生した物理学、化学、生物学、電子学、力学、量子学。その他、様々な学問は生まれ、学ばれていった。
そしてそれらは大いに発展した。
科学は隆盛を極め、それこそできないことは無いぐらいにまでに。
だが、そこまで発展してもどうにもできないものもまた存在した。
時間。命。そして空間。
どれだけ学ぼうとも、この三つだけはついぞ解明できなかったのだ。
しかし彼らは諦めなかった。
むしろ困難であればあるほど自身の知的好奇心を刺激され、挑むことを楽しんでいた。
そんなある日だった。
一人の物好きな科学者があることを発見した。
その科学者が学んでいたのは神秘学――わかりやすく言うと魔術や超能力といった不可思議な力のことだ。
冗談とバカにするかもしれないが当時からしてみれば多少珍しい、くらいで学ぶものはそれなりにいたし彼らは学ぶことに関して偏見はなかったのだから。
話が反れた。
彼が発見したのは奇妙な図形だった。円を重ね、そしてその中に更に星々を書き込んだある意味での世界の縮図。
しかしそれは実際のところ、凄まじく精緻に刻まれた回路図だった。
そしてそこに更なる偶然が重なる。彼の助手の一人が誤って指を切り、その血が数滴、件の回路図の上に落ちた。
するとどうだ。何の脈略もなく、その図形は輝きだしたではないか。
助手は驚いた。しかしそれ以上に歓喜した。
大慌てで教授と一緒に研究にいそしんでいた仲間達に連絡をすると、彼は一人目の前の幻想的な光景に見入っていた。
“なんて、美しい……”
そう感じていた。
廻る理論は螺旋のように、ＤＮＡのように、何かしらの息吹を感じさせられる。
数分遅れて駆けつけてきた教授達も目の前の光景を瞳に映すなり息を呑んだ様子で、呆とずっと見つめていた。
―――かくして、この世界に『魔法』が生れ落ちた。
魔法とて万能、というわけではなかったがそれでも魔法は凄まじい力を有していた。
研究に、生活に、戦いに。さまざまなものへと魔法は浸透していく。
その中でももっとも浸透したものは、科学と魔法と融合した『魔科学』であろう。
発展を伸び悩んでいた科学にとって魔法との出会いは諸手を挙げて喜ぶべきことだった。
調べれば調べるほど、試せば試すほど、今まで手に届かなかった領域に近付いていく。それが手に取るようにわかったのだから。
“世界の裏側の法則であり、同時に表の法則を支える基盤でもある”
科学者達がたどり着いたこれが、『魔法』の公式見解となった。
そしてまた時が流れた。
魔法の研究と発展で科学は更に上を目指し始め、魔科学も発展していく。
いままでまったく先が見えなかった先がみえるようになったのだ。科学者達はどんどん没頭していった。
なので、次元世界を見つけるのは容易であり当然のことだったのだろう。
自分達が観測した新たな世界たち。それもちゃんと生命反応のある星々。興味と興奮を抱かないはずがなかった。
すぐさま次元航行用の船を建造し、調査に向かった。
そして、そこで見たのは正しく異世界だったのだ。
想像上でしかいないと思われていた龍や天馬、そして自分達とほとんど変わらない人間がそこにいた。
嬉しかった。
嬉しくないはずが無かった。
まるで少年、少女時代に戻ったかのようにはしゃぐ大人たち。
調査はすぐに始まった。
もちろん武装はしていたが、使うことは殆ど無かった。
流石に龍相手に調査というのはどうしても戦闘になってしまうようなので戦いはしたが殺すことはなかったし、血液サンプルやその他を回収したのちに当時できたばかりの回復魔法や通常の治療法を施した。
また比較的温厚（そうな）動物に対しては決して手荒なまねはしなかったし、ただの一匹たりとも殺したりはしなかった。
人間に対してもその姿勢は同じで。言語体系を知り、言葉でもって接した。
また。その世界のことを教えてもらう代わりに、魔法を、技術をこちらから提供した。
こちらよりも文明レベルの低かった世界からも、同程度の文明を持つ世界からも感謝された。
前者は世界レベルでの急速な発展が望めると。後者からは他世界との技術交流が行うことができる事を。
そうして次元世界はそれぞれの特有の文化を残したまま発展していった。
この頃からだろうか。
他の世界から自分達の世界が「知識の星」と呼ばれ始めたのは。
そこに住む住人すべてが学問に関わるものというわけでは当然ないのだが、それでもそう呼ばれるくらいに水準は高かったのだろう。
またその為にこの世界に留学に来る他世界の学徒も大勢いた。無論、拒否する理由などなくおおいに受け入れた。
穏やかに流れていく時間。
何の気兼ねも無く、研究に没頭していく。
時に笑い、時にはバカをやって、そしてまた笑いあって。
世界間を隔てる壁など感じることなく彼らは時間を過ごしていた。
そんな時間がいつまでも続くのだと、そう思っていた………。
―――そうして、ついにそれは起こってしまった。
当時から懸念が無かったわけでもない。だが実際問題として起こらないと思ったのか、それとも楽観ししていたかったのかまではわからないが。
だが現実として起こってしまったのだ。
――戦争が。
数多の次元世界の一つ、軍事に力を入れていた一つの世界が別の次元世界へと突然に侵攻を始めた。
もともとその世界は争いの多い世界だったし、技術の傾向が武力側に偏っている世界はいくらでもあったから軍備強化をしていてもどの世界も大して気にしていなかった。
それが裏目に出た。
そして侵攻された世界は純粋な科学に技術がよっている世界だった。そのため備えていた軍備などは無いよりはマシといった程度しかない。
……陥落はあっという間だった。
次元航路上からの魔導兵器による一斉砲撃。
今で言うところのジュエルシードをいくつも連結させたタイプの、当時最新鋭の動力機構を備えていた艦からのそれは凄まじい破壊をその世界に巻き起こした。
――実践投入された最初の魔導兵器『グラン』
艦内の動力機構を利用した大規模純魔力砲撃を行う単純明快な兵器だった。
しかし単純ゆえにその威力は凄まじいの一言に尽きる。
ましてグランを搭載した艦隊での一斉砲撃だ。
たとえそれが次元航路上からの砲撃であっても威力は理解できるだろう。
また、その照準機能が正確であれば被害は少なく済んだのかもしれない。だが現実には、その照準機能は次元航路から狙う目的でつくられておらず、狙いはお世辞にもいいとはいえなかった。
だから、その砲撃の多くがものの見事に市街地に直撃した。
天から降り注ぐ無数の光の雨が容赦なく人々を虐殺していった。貴賎を問わず、種族を問わず、等しく死が与えられた。
――戦乱の世が始まった。
どの世界も軍備を増強し、兵士を育て、兵器を創り上げた。
次元世界間での大規模な戦争は時に次元を歪め次元断層を生み出し、いくつかの世界がそれで滅んだ。
また戦争で急速に進化していく兵器は多くの人命を悉く奪い去った。
これが戦争に明確なルールがあればちがったのかもしれない。
たとえば虐殺はしてはならない。
たとえば生物兵器を使用してはならない。
だが今まで争いという争いはあくまでも自分達の内だけのことであって、世界間での戦争など無かった。
そのためルールなど定められているはずもない。
ともすれば、行為は次第にエスカレートしていくのは目に見えているだろう。
数多の魔導兵器が何の遠慮もなしに放たれ、魔力汚染兵器がいくつも投下される。
残るのはそこに住む人達の怨嗟の声だけ。
戦いは熾烈と凄惨を極めた。
そんな中、アルハザードだけは被害をうけなかった。
というのもアルハザードは中立の立場でいつづけたからだ。
どの世界にも加担しないかわりにどの世界にも技術を提供し、兵器を創り上げた。
通常であれば中立なんて名乗る世界はまっさきに攻撃をうけるものだがアルハザードだけは例外だったのだ。
何故ならアルハザードは真実、中立だったのだから。
彼らからすれば戦争というのは単なる魔導兵器の実験場でしかなかったのだ。
技術を提供しても、魔導兵器を作り、渡しても彼らはなんの見返りも求めなかった。
ただデータさえ手に入ればよかった。
加えてアルハザードが手がけた兵器はどの世界の兵器よりも性能が良かったのも一因ではある。
そしてそれがこの戦争をより凄惨なものにした一因でもあった。
しかしそんな状態は長続きするはずもなかった。
戦争が苛烈になるにつれてこう考えるものが多く出てきた。
……あるいは気付いてしまったのかもしれない。
『アルハザードを手に入れた世界が、勝者だ』と。
この答えに至る理由など今更言うまでもない。誰だって気付く当然の帰結だったのだから。
戦争による力が拮抗している理由はアルハザードが平等に兵器を与えているからだ。
ではもし―――アルハザードの技術が一つの世界に集中したとすれば。
どの世界もがこの答えにたどり着き、そしてアルハザードに対する侵略が始まった。
各世界の戦艦という戦艦が隊列を為し、その砲先をアルハザードに向け、他ならぬアルハザードによってもたらされた兵器を放った。
――結論からすればその行為はまったくの無駄であり、同時にもっとも愚かな行為だったのだが。
放たれた幾重もの、それこそ全弾直撃すれば世界そのものが崩壊しかねない規模の大砲撃はしかしアルハザードが展開したシールドによって事も無げに弾かれた。
“絶対防御障壁イージス”
アルハザードが万が一のために、そして戦争の余波を受けないためにつくりあげた世界を丸ごと覆うフィールド防御魔法。
星の持つエネルギーを直接使用するそれは文字通りの『絶対防御』だった。
アルハザードの民は憤慨していた。
自分達とかわした約束を彼らは破ったと。
アルハザードの民は昔からことさら『約束』を大事なもの、神聖なものと考えていた。
それは一種の宗教的思想に近い。
まだ「知識の星」と呼ばれ始めるより更に前からのことで、そのためアルハザードの民は魔導師達を“誓約の騎士”と呼んでいた。
アルハザードの魔導師達、特に戦闘魔導師達は始めに一つに誓いを立てる。
それは生涯守り通さなければならない誓いであり、これを立てることが許されて初めて一人前と認められるのだ。
そういうわけでアルハザードの民にとって『約束』とは不可侵のものであり、それを破るものには相応の罰が与えられる。
まず自世界内にいて今まで放置していたスパイを一人残らず探し出し皆殺しにした。
留学に来ていた科学者達には改めてここに残るか、それとも自国にもどるかを選ばせた。
残る気ならば誓いを立てアルハザードの民となり、そして自国には二度と戻れない旨も伝えて。
科学者達にとって、アルハザードは最高の世界だった。
必要な環境はこれ以上なく整っており、加えて待遇もいいし、他世界の住人であるという偏見もすくない。
だからだろうか。その過半数の人間はアルハザードに残った。
帰った者は向こうの世界に恋人や家族がいるものが殆どであった。
そして、いよいよアルハザードの“報復”が開始された。
使われたのは次世代型魔導兵器『ディザスター』と『エターナルブレイズ』。
アルハザードが有する最新鋭の魔導兵器がそれこそ列を成していた。
共に今までの単なる大型魔力砲などとは一線を画した“戦略級魔法”を搭載した対次元世界兵器。
広域魔法でもない、戦争に特化したそのためだけに編み出された魔法はその威力も尋常ではなかった。
出力次第ではただの一撃で次元世界一つ丸ごと吹き飛ばす狂気の兵器。
そしてそれを、アルハザードの民は何の遠慮も無く最大出力で放った。
……幾重にも伸びる赤金の軌跡と黒の軌跡。
アルハザードの軌道上に設置された軍事プラントから放たれるそれは見ようによっては神の裁きに見えたのかもしれない。
放たれた光は無尽蔵に連射される。星そのもののエネルギーを動力として動かしている兵器だ。そんなことは造作もない事。
軌跡を描く光と消えていく世界群。
『死の凶星』は直撃した世界を汚泥のような魔力で数日で汚染し、死の星へと作り変える。
『浄化の炎』は直撃した世界を事も無げに灰燼と化す。
阿鼻叫喚すら起させない徹底した破壊と虐殺。恐怖という言葉すら生温い滅び。
おおよそ半日かけて行われたアルハザードの報復活動は、たった半日で確認されていた次元世界の５割を滅ぼし尽くした。
加えてディザスターを浴びた星を含めるとおおよその７割の世界がこの攻撃によって滅び去ったことになる。
人々は恐怖した。その圧倒的なまでの力の違いに。
人々は思った。アルハザードの科学は既に人の領域を超えていると。
人々は畏れた。アルハザードはもはや神の似姿だ、と。
こうして戦争はあっけなく終った。アルハザードの力を、人々の心に恐怖と畏怖を焼き付けるだけ焼き付けて。
――――その数日後。アルハザードは忽然と姿を消した。
「消えた？」
「ええ。まあ、正確には……そうですね、旅にでたんです。あてのない旅に」
どこか遠くを見つめるように、明日華は言った。憂うように、窓一つ無い部屋の中であたかも窓から外を見るように視線をやっている。
夜宵は瞳を伏せたまま静かに椅子に腰掛けたままでいる。
「旅？」
「……アルハザードの民も先ほどの戦争で痛感したことがありました。自分達はここにいてはいけない、と」
「え？」
「まあそれは少数でしたけど。本音は、次元世界の更なる先を目指したのです。次元世界ではもう自分達はこれ以上高められることは無いのは戦争の結果を見れば誰でもたどり着ける事実ですからね」
「……つまり、もう高めあえる相手がいなくなったと？」
「ええ。アルハザードの民の大半の人は知識を得ることが至上目的。それ以上でも以下でもありません」
「ですから捜す旅に出たのです。新たなる知識を求めて。あるかどうかもわからないものを、捜しに」
彼女達の淡々と語る言葉に、思わずなのは達は言葉を失ってしまった。
“知識”
それにどこまでも魅せられた人々。アルハザードの民。
話を聞く限り、彼らはどこまでも純粋だった。純粋であるがゆえにどこまでも残酷だった。
幼い彼女達ですら判るその正常すぎるが故の異常性。
だけど彼らはそれすら肯定していたのだろう。そんな風に思う。
「で、でも次元世界ではない世界なんてあるのかな？」
「どうなんだろうな。少なくとも僕は広義的な意味での次元世界の中に世界があるとしか知らないからな……」
フェイトやクロノの疑問ももっともだ。
国、星、宇宙、銀河、そしてそれらをひっくるめたものが次元世界。もっとも、この場合はあくまでも広義的な意味でのものになってしまうが。
ともあれ“次元世界”が最大単位であるというのが現状で魔法と科学がもっとも進んでいるミッドチルダの見解でもある。
あと他に“世界”があるとすれば、それは―――
「アルハザードは大規模な惑星改造を行いました。当時あったすべての技術を用い星を改造し、『艦』に作り変えたのです」
「星をそのまま艦にした“星の箱舟”。それに乗って旅立ったのですよ―――虚数空間へ」
「「「な！？」」」
―虚数空間―
魔導師にとっての最大の鬼門である、一切の魔力結合が遮断される禁断の地。
かつてPT事件においてプレシア・テスタロッサがその娘アリシア・テスタロッサとともに、アルハザードを目指して落ちていった場所。
「それが次元世界でのアルハザードの民たちの最後の研究成果だったのですよ」
「特殊な“定理”と“法則”をモノに、あるいは遺伝子に直接刻み込むことで虚数空間内での魔法行使を可能としました」
「…………なんと、いうかまあ…」
「すごい、としか…」
思わず言葉をなくしてしまう。
きっとミッドの住人がそんなことを言っていても鼻で笑って終了なのだろうが、彼女達は言う以上それが事実なのだろう。
ここで冗談を挟む理由も必要性もない。加えて彼女達の性格を察する限りそういう性質でも無いのはこれまでの遣り取りでよくわかった。
「では続けましょう」
「アルハザードが辿った軌跡の、その終焉を」
虚数世界へと渡ったアルハザードはそこでも人の住んでいる世界を捜しながら研究を進めた。
しかし、世界は一向に見つからない。一年、十年と捜し続けていたがそれでも未だに世界があったという痕跡すら不明瞭のままだった。
研究を続けながらアルハザードの民は旅を続ける。それはほんとうに当てのない旅。
あるかどうかもわからない不確かなものを、それでも彼らは追いかけた。
出生率の低下は不老処置を施すことで緩和しながら長い永い時を費やし――――そうまでしても、とうとう限界が訪れようとしていた。
星が生きている、とよく表現されるように星にも寿命は存在する。
エネルギーは限られた量しかない。それは資源に限界があるのと同じ。
アルハザードの技術を用いれば減った分のエネルギーを他所からもってくることも可能ではあったが、そんな事は一時しのぎにしかならない。
加えて実行するには一度虚数空間から出て、再び次元世界上に舞い戻ることになる。
そうすればきっと、また先の大戦と同じことが起こるのだろう。
星は大きく、偉大なものであった。
彼らの星の対する研究などではそれこそ永劫の時を手に入れでもしない限り決してたどり着けない境地にそれは存在していたのだ。
次元世界と虚数世界を半ば理解していた彼らであっても、“星”という概念は理解しきれぬところにあった。
それは単に“星”が命を持っていたが故に。自分達の母であったがゆえに。
法則や定理、理論が必ずしも当てはまらない、時としてそれすら超越する自分達と同じ「生命体」であったがゆえに。
彼らは考えた。
これからどうすべきか。何をするべきか。何をしたらいいのか。
それは、いままでとは違うベクトルの思考。
前だけを見つめていた彼らが初めて振り返った、後ろ。
研究を進めるよりもそれは難解だった。なにせ今まで考えたことも無かったのだ。
自分達のことではなく、他者のことを考える。自分達の後ろをゆっくりと追いかけてくる彼らのことを考える。
何ができるのだろう。何をしてやれるのだろう。
まるで子を思う親のような、どこか暖かい思考性。
それがどうしてか、とてもとても心地いいと、誰しもが感じていた。
毎日何時間もかけて話し合い、討論し、頭を悩ませて必死に考えた。
そんな日が何日も何年も何十年も続いて―――遺そうと、決めた。
自分達のすべてを。自分達が歩んできた道の全てを。そして後ろを振り返ることでようやく感じることが出来た、自分達が思い知らされた過ちの数々を。
受け継いで欲しいと願って。受け止めて欲しいという願いを込めて。もう二度と繰り返さないで欲しいと祈りながら。
――『賢邪の遺思』。
――賢くも邪まに染まってしまっていた自分達の遺思。
命名すると同時に開発は始まった。
とはいえ、そこまで難しい理論を用いた開発ではない。この星を艦へと改造したときの技術の応用だ。
アルハザードのリンカーコアをデバイスのコアクリスタルに見立てた、“星の杖”の作成。
膨大な情報を統御し、自己で様々な判断を下すことの出来る管制人格の付与。
そしてこの『賢邪の遺思』に辿り着くために必要な、起動するのに必要な数々の設計図。
このパスワードは後の人々があまりにもはやく、無知なままに『賢邪の遺思』を手にすることができないようにするために。
そんなことになれば確実に自分達の二の舞になるのは目に見えていたからだ。
管制人格の作成はとある少女の協力と志願により“魂魄剥離”で行われる事になった。
……この技術はアルハザードにおいても禁止されていた禁術であったが少女のどうしても、という懇願により実行された。
確かにこの技術を用いれば有機と無機の融合による極めて柔軟な制御と判断が行える。しかしそれでもやはり禁術は禁術であり、開発者の責任者は最後まで少女を説得しようとしていた。
こうして、開発よりしばしの月日をもって『賢邪の遺思』は完成した。
誰もが穏やかな気持ちでそれを喜び、件の少女の関係者はすこしだけ悲しみながらそれでも彼女の思いを酌むように喜んだ。
――悲劇が起こったのは、その翌日のこと。
荒れ狂う神のように、『賢邪の遺思』は破壊をもたらした。
容赦など無く、大戦時のアルハザードの再現のように滅びの種を撒き散らしその悉くを開花させた。
通常ならばそこは虚数空間。魔法など使えないのが理であるが、その時ばかりは試運転のために次元世界と虚数空間の間。次元の狭間でことを行っていた。
その結果として賢邪の遺思はその身に修めた数々の魔法を放ち続けた。
唯一幸運だったのは一応、暴走したときのために魔力リミッターをかけていたために戦略級の魔法が放たれなかったことだろうか。
だがそれにしたって『一応』レベルの対策でしかなかった。なにしろ彼らの設計図にも理論にも、間違いなど欠片もなかったのだから。
だからあったとすればそれは彼らの自分達の持つ技術力への理解の足りなさだった。
『賢邪の遺思』に搭載された＜書庫＞として以外の唯一の能力が“全次元世界にまで張り巡らされた情報網を用いた情報収集能力”。
現在から過去にいたるまでのありとあらゆる情報を、起動中は常時収集し続ける。そうすることで＜書庫＞としての機能を常に最新に保つ、その為の能力であった。
だが問題はその“情報”の解釈の仕方だ。
情報ときいて普通なにを思い浮かべるだろうか。
新聞や本に載っているような世界情報、個々人の体そのものが覚えている肉体情報、人の頭に保存されている記憶情報――そして、泣き、笑い、喜び、怒る。そういった事柄に起因する“感情情報”。
これが普通の、一般の次元世界レベルの技術だったらここまで精緻に情報を選り分け収集することなどできなかっただろう。
しかし行ってみせたのはアルハザードが誇る最高の技術の結晶たる『賢邪の遺思』だ。
そして思い出せば判ると思うがこれらの情報を管理しているのは機械とある種の融合を果たした元々は人間だった少女そのものだ。
収集したすべての情報にやどる人の感情。本来なら知覚すらできないそれをしかし『賢邪の遺思』となった少女は知覚し、それだけでなく記憶してしまう。
管制人格とはもともとそういうためのものであり、きちんと記憶していなければそれを管理することなど出来ないのだから。
氾濫した川の水のように、決壊したダムから流れてくる鉄砲水のような感情の濁流。
それは一人の少女の精神を陵辱しつくすには十分すぎた。
ゆえに少女はそれらの感情のもっとも強い感情のままに動く。もっとも強い想いのままに壊す。もっとも強い意志のままに蹂躙する。
“『全知を我が左手に。全能を我が右手に。星の叡智は、我らの前に跪かん』”
それだけ。そのためだけに少女は全能力をもって己が身の裡にある知識を護る。
半日かかった。
『賢邪の遺思』を止めるのにはそれだけの時間と多くの民を犠牲にしてようやく封印することができた。
そしてたった半日で…………アルハザードという星はその半分を文字どおり消滅させられていた。
星はもう完全に死に絶えていた。他ならぬアルハザードの民によって、アルハザードは殺されたのだ。
いまは辛うじてまだ持っているが、風前の灯にすぎない。
いつ完全に崩壊してもおかしくはないのだから。
コアはもう既に『賢邪の遺思』と一体化しており、引き剥がすことは出来ない。加えて、そうしようと封印をといた瞬間にこんどこそアルハザードは完全に消え去るのがオチだ。
それに、封印できたからそれで終わりというわけにもいかないのだ。
封印とはいえ、それは人為的なもの。永久に封印し続けることなどできはしない。
いずれ封印は解け、再び暴走し、リミッターが解除され次元世界そのものが終ることになるだろう。
そんなこと、させられるわけがない。
そんなこと、許すわけにはいかない。
自分達の償いのために作り出した未来への贈り物が、その未来を壊すなんて耐えられない。
生き残った開発メンバーを集め、彼らは再び作業に取り掛かった。
作成するのは『賢邪の遺思』の封印が解けかけるたびに封印し直し、尚且つ遠い遠いいつかに、『賢邪の遺思』を破壊できるようにまるで人間のように絶えず進化し続けるデバイス『自己進化型デバイス』。
このような短期間で『賢邪の遺思』と同等のものを創り上げるのは不可能であったし、つかえる資材も無い。
自己進化型デバイスのメインは禁術である“魂魄融解”である。“魂魄剥離”とは違い、本当の意味でデバイスと人とを融合させるためデバイスでありながら人間や生き物だけが持ち得る“進化”が行える。
生体金属を多く利用するそれは必要に応じて自由自在に形を変え、成長していく。
ただ唯一欠点があるとすれば―――それ相応の強さを得るまでに時間が掛かりすぎることだ。
赤ん坊と同じで強力な力を手にするには力に見合った経験をつまなければならず、そんなことをするぐらいならば最初から高性能なデバイスを使うほうが効率がいい。
それにある意味で融合型デバイスでもあるため融合事故も起き易い。最初、機械の姿になることで本当の意味での不老不死になろうとした愚か者が、やはり人の身が恋しくなったからなのか持ち主の体を奪おうとした例はアルハザードにおいても珍しくなかった。
けれど逆に、年月さえかけ、管制人格と信頼関係を結べれば強力なデバイスとなり得る。
『賢邪の遺思』は生半可なデバイスでは対抗することすら出来ない。ましてあれを上回るデバイスを作ることは現状では不可能。
ならば残った方法はこれだけしかない。
一体そこに届くまでに何百、何千年かかるかわからない永く遠い未来。それでも彼らには『賢邪の遺思』を破壊しなければならない義務がある。
未来を遺すために。今を生き、未来へとゆっくりと歩いている彼らを護るために。
こうして、自己進化型デバイス『明日華』『夜宵』は生み出され………アルハザードはその永い歴史に終止符を打った。
知識の星、アルハザード。
知識だけを追い求めた彼らはその知識によって隆盛し、そして滅ぼされた。
遺されたのは彼らの罪だけ。
己の罪に気付き、贖おうとした彼らに救いは訪れなかった。
要約すれば、ただそれだけの話だった―――。
「これで終わりです」
静謐な空間に響く麗鈴な声。一滴の水が水面に波紋をつくるように伝播していく。
声が出ないというより、声が出せなかった。
淡々と語られた物語はまるで本の中の出来事。想像することしかできない幻影。
だとしても――
「そんな……そんなのって…」
「ひど、すぎる……」
「あんまりや……」
それはあまりも、残酷だった。
前しか見ていなかった彼らが犯してしまっていた罪。後ろを振り返ることをしなかった彼らが初めて振り返り、みてしまった自分達の歩んできた道とそこに出来た多くの屍の山。
それと同時にまったく別々の道をゆっくりとたどたどしい歩みで、だけどどこか力強い。そんな矛盾を孕みながら自分達の遥か後方から歩んできている世界。
思ったのは、自分達の同じ道を歩ませてはならないという思い。宿したのは暖かい、春の芽吹きのような感情。まるで子供に対する親みたいな、そんな気持ち。
そして作り出した世界への最初で最後の贈り物は、最後の最後で彼らに罰を与えた。
……報われない。だってそれはあまりにも報われない。
幼い心が感じた“理不尽”。自分達が経験した理不尽を遥かに上回る理不尽に、体験したアルハザードの人達は何を感じたのだろうか。
当然のように答えは無く、経験したであろう目の前の少女達からも応える声は無い。
「今回は貴方方を巻き込んでしまいましたから、せめてもの事情説明をと思いこちらによばせていただきました」
「本来ならば覚醒前に再封印するだけだったのですが……、まあ過ぎたことをいつまでも言っていてもしかたありませんね」
「……貴女達は、これからどうするのかしら」
「――聞くまでも無いでしょう」
「私達は己の使命を果たすだけです。我らの誓約の騎士、高町恭也と共に」
紡がれる言葉はあくまでも静寂。そこには一切の感情さえ含まれていない。
自身が過去に経験した辛い記憶。にも関わらず彼女達は揺らがない。……いや、だからこそ揺らがないのか。
科せられた使命を果たす。
二対の瞳は言葉よりも雄弁にそう語っていた。
――と。ここで薄っすらとした発光がなのは達を包みこんだ。目線を下に向けた先にあったのはこの白亜の城の前に立ったときにも顕れた天球図の魔法陣。
「………現在の『賢邪の遺思』が自閉モードから覚めるまでに推定３日ほどかと思われます」
「よって一日だけお時間を差し上げます。その間にどうするか、決めてください」
「……一日、か。その自閉モード中に攻撃するということはできないのか？」
「不可能です。自閉モード中は全魔力が防御に回されているので一切の攻撃が『絶対防御』によって防がれます。空間攻撃でもそれは同じですので」
「つまり、こちらから何かしらのアクションをとろうにも」
「その自閉モードが解除されなければ何もできない、と」
クロノとリンディの言葉に明日華と夜宵は頷いて返す。
「……それとご理解いただけているでしょうが『賢邪の遺思』には戦略級魔法が搭載されており、その使用が可能です」
そこまで言うと、視線をなのは達へと向け
「もし戦うというのならば死を覚悟してください。はっきり言って、誰かを護りながら戦う余裕など――ありません」
ビクリ、と肩が震えた。
なのは達はこれまでの戦いで恭也に散々“死”を突きつけられてきている。そして星が冗談みたいに消滅する様子も未だ目に焼きついたまま。
幼い心には耐え切れないだろう圧倒的な恐怖。こびり付いて離れない赤黒い死の香。
リンディの心配そうな視線とはまるで逆、明日華達は葛藤するなのは達の心を見透かすように視、言葉を続けた。
「相談等はその一日でやってください。勿論、私達と協力するしないは自由です。そちら独自であれを止めに行っても構いません」
「どうするにせよ、私達がやるべきことは変わりませんので」
その言葉を皮切りに下から溢れていた光が勢いを増した。もう数秒待たないうちに魔法が発動するのだろう。
だから其の前にこれだけはと、クロノが口を開いた。
「勝算は、あるのか？」
どこかほんの少し、縋るような感情が秘められた言葉に明日華と夜宵は不敵に笑いながら、告げた。
「「その為の、私達ですから」」
Interlude：side KYOUYA
―――雨が降っていた。
その様子をまるで空が泣いているようだと、誰かが言っていたのを思い出す。
昔ならば大して気にしもしなかっただろうが……
……ああ、確かにそうだな。
空が、泣いている。
地上に降り注ぐ空の涙は万物に。
それがあたかも共感を得たいと、こちらを見て欲しいと泣き声を上げる赤子のようで。
ほんの少しだけ。暖かい、と感じることができた。
視線を下げた先にあるのはわざわざ確認するまでもない血まみれの自分の身体。
路地裏に力なく身体を投げだして、空の涙を一身に受けている。
――まったく。殺人者には似合いの末路だ。
思い、ふっと笑みが浮かんだ。
痛みはもはや感じず、感じるのはこの涙の微かな熱だけ。
慣れ親しんだ刀の感触ももう感じない。
当然だ。
刀は砕け散り、今傍らにあるのは役目を終えた刀の残骸なのだから。
それでも、握ったまま離さないのは未練なのか。
どちらにせよ些事だ。
心地の良い虚脱感に包まれながら思うのは過去。
時間を逆行していくように、記憶は次第に過去へ過去へと旅していく。
その色あせたアルバムの中でも色濃く残っていたのは家族の姿。
心象に強く焼きついている護るべき人達。
――護る、か。
ああ、いつからだったか。護るということに違和感を感じるように、なったのは。
正確にはわからない。だけど確か美由希の皆伝が終った後あたりからのはずだ。
ふとしたときに感じる空虚。空っぽの感情。空っぽの自分。
それらが俺という存在を満たし始めた。
家族が大切じゃなくなったとか、そういうことではなく。単純にわからなくなっていたのだ。
剣を振るう意味。
護るということ。
御神の剣士で在り続ける理由。
完成された御神の剣士であれば美沙斗さんがいる。
護るというのであれば俺以上に誰よりも理不尽を許さない美由希の方があっている。
剣を振っていても、俺が完成することがないのは変わらない。所詮、欠陥品の剣士。
俺には剣しかなかった。
家族を護るのは俺しかいなかったし、俺が強くならなければならない理由はいくらでもあった。
しかし、それも過去のこと。
美沙斗さんがいる。美由希がいる。
――なら、俺が剣を振るう理由は、護るべきものは、どこにあるのだろう……？
そう考えてぞっとした。どうしてかは判らない。だけど、とてもとても怖くなった。
だから香港国際警防隊に入った。
非合法ギリギリの法の番人。
そこに入って誰かを護るために戦い続ければいつか答えが得られるはずだと、そう信じて。
けど結果はこの通りだ。
戦い続ければ確かに得体の知れない恐怖を感じることはなくなった。
しかし反比例するように答えからは遠ざかる。
何のために、誰のために。
―――そして。俺が剣を振るおうと決めた理由は、本当はなんだったのだろうか。
思い出せないほど深層に埋まったそれはきっと俺だけの答え。
俺という在り方を決めた根幹。
戦おうと。護ろうと。
そう思った、俺だけの真実が―――。
今更だ。全部、今更。
答えを探すどころか、俺はもう間もなく死ぬ。
結局みつからなかったなと思いながら、しかしどこか安堵も感じていて。
今振り下ろされようとしている死神の鎌を俺は抵抗することなく受け入れて――――
『それでいいのか？』
声が、聞こえた。
ともすれば幻聴と一蹴できるそれはしかし言葉を更に紡いでいく。
『答えを見つけられず終わり、それだけでなく家族を悲しませる。そんな終り方で納得できるのか？』
だって、しょうがないだろう。納得はできないが、だからといってこの死は避けられない。
『そんなことを聞いているのではない。お前の言葉が聞きたいのだ』
………俺の、言葉？
『そうだ。お前の言葉を。お前の意思を。お前の願いを。お前の誓いを』
………………。
……………生き、たい。
……………まだ、死ぬわけには、いかない。
……俺は、俺は――――――――！
『――ここに契約と誓約は為った。我らが意思は汝に。汝が意思は我らに』
耳に届いた言葉はそれだけ。意識はそこで途切れた。
最後に言った言葉はぼやけていて、だけど確かに、あの時何かを掴んでいたことだけは覚えていた。
それがなんだったのかは、わからないけれど。
次に意識が浮上したときにはもう雨はやみ、目の前に確かに幻視していた死神の鎌はもう無く。
代わりに死に掛けだった身体の痕跡は既に消え、折れた八景がいつの間にか見知らぬ剣へと変貌を遂げていて
「我が名は白姫。真名を明日華」
「我が名は黒姫。真名を夜宵」
「「誓約と契約の名の下に。私は貴方と共に行く。――――なんなりと。マイマスター」」
それが、俺と彼女達との出会いだった。
空が泣いていた日のこと。
朧に輝く月光の下、二人の妖精に出会った。
……そう。まるで幻想のような、夜に。
――Interlude OUT
あとがきのようなもの
はい、大変申し訳ありませんでした（土下座）
なんというかとっても難産でした。設定自体はもうできあがっていたのにいざ文章として書き起こすとなるととんでもなく難しいものですね。身をもって経験しました（苦笑）
さて『side KYOUYA』も残す所あと三話。
なんとか当初の話数内で終らせられそうです。多分。
アルハザードに関してはいろいろとあるとは思いますが、『side KYOUYA』の中ではこの設定でいかせていただきますのでご了承くださいませ。
それでは、残り三話もお付き合いいただければなあと思いつつ。
語られるアルハザードの真実。
美姫 「そして、恭也と二人のデバイスとの出会い」
いやー、今回も楽しませてもらいました。
美姫 「いよいよ最終決戦ね」
一体、最後に待っているものは。
美姫 「ドキドキワクワクね」
次回も楽しみにしてます。
美姫 「待ってますね」