第六話「覚醒Y」






 
「……はぁ〜……」
 ため息をつく潤。
「……それじゃ、荻島くん……今夜の約束、忘れないで頂戴」
「……はいはい……」
「……………………」
「……ハイ……返事は短く一度……だよね……」
「……じゃあ、お先に……」
「お疲れぇ〜…………」
「……まったく……なんでこんなことになったんだか……」
「……じぃ〜〜〜……」
「なんだよ、変な目で俺を見るな。それと、自分でジィ〜〜とか言うな、ムカつく」
「……昼休み……何処へ行っていた?」
「……屋上だけど……?」
「一人でか」
「一人でだが」
「嘘だね」
「なんでだよ」
「お昼にリカちゃんが学校に来て、屋上に上がってくの見たぞ」
「……キミ……後をつけたのか?」
「リカちゃん、後をつけられてないか、何度も確認してた」
「……話を……聞いた? 俺とリカさんの……」
「……聞けなかった……屋上の扉に鍵、かけられてた……」
「……そうか……」
「でも、なんか爆発音みたいな音がしてた、2回した、そんで、なんか大声で言い合ってた」
「グランドで陸上部がスタートの練習でもしてたんじゃないの? 言い合ってたのは……うーん……お互いの価値観の違いで少し揉めてただけだよ」
「……怪しい……」
 疑う操。
「なにがさ……」
「やはり何か隠し事をしている、その顔は、そんな顔だ」
「別に、なにもないよ、考えすぎだって」
「じゃあ、今朝のアレは何だ?」
「アレって?」
「新たに転入してきたリアンちゃん」
「……あぁ……」
「あぁじゃないです、なんですか、婚約者って、どういうことですか?」
「もう噂になっているの? アレは俺だって初耳だよ。父方の祖父が勝手に決めたことだ……」
「アレか? 僕のこと、チッ……コイツ面倒な女だな、別れちまうかって、思っているな?」
「いやいやいやいや、キミ女じゃないだろ、女だったとしても、付き合ってないだろ」
「捨てる気か!」
「なんで怒ってんだよ!!」
「うわぁぁぁん!! 修ちゃぁぁぁん!!」
「泣くなっ! 修を呼ぶな!!」
「ン〜? なんだなんだ、どうしたんだ?」
「ひっぐ……ひっぐ……潤くんが……潤くんがボクを捨てるぅぅぅ〜!!」
「いやもぉ……なんなんだよ……助けてよ修……」
「潤、また操を苛めたのか?」
「なにもしてないって」
「なにもしてないのがイジメなんだよ、操はマゾなのだから、定期的に苛めてあげないと、こうして泣き出すのだ」
「俺にどうしろっての?」
「フム……操の口に手を突っ込んで、舌を引っ張るというのはどうかね?」
「いや、俺が知りたいのは操を泣き止ませる方法で、しゃっくりの止め方じゃないから」
「横隔膜の痙攣が、舌を引っ張って止まる訳がないだろう。そうじゃなくてだね、もっとスキンシップをとりたまえと、そういうこと」
「……訳が解からない……」
「潤、どうにもキミは、ここ最近少し様子がおかしいよ。ボ〜と考え事をしていたり、何か隠し事をしているようだったり……」
「……………………」
「操はね、そんなキミを心配しているのだよ。ただ操はホラ、大馬鹿だから、それをどう表現していいのか解からずに、とりあえず泣いてみた的なね? アレなのだよ」
「大馬鹿って言うばぁ〜〜!! 大馬鹿って言う子が馬鹿なんばかばぁ〜〜!!」
「……なんばかばー……?」
「見たまえ、こんなに汚い顔して泣いているではないか」
「ぎだばい言うばぁ~~!!」
「……手に負えん……」
「うむ、では放置しよう」
「……え?」
「手に負えぬものは仕方がなかろう? ならば放置、しかる後、対策を考える。いわゆる『前向きな検討』もしくは『善処する所存ではある』という、合法的な放置方法だ」
「……玉虫色じゃないか……もうちょとなんとかしようよ」
「それは、なんとかする具体案を提示した人間の意見だ。自分では何もしない人間が他人に期待してはいけない、人に頼るだけの政治観念しか持ち合わせない人間が、文句を言うな」
「……どうしろって?」
「国を良くしようと思わば、まずは市民から! 問題に直面している人物こそが、最適な打開案を打ち出せると、僕は信じている。椅子に座って高い所から見下ろしているだけの人間に、なにを期待しているのかねキミは」
「……つまり、困ってるのはオマエなんだから、自分でなんとかしろってこと?」
「僕はなにも、そうは言っていないだろう? とりあえず放置して、前向きに検討すると言ってるではないか」
「……もういい……」
「どうしても手に負えないようなら言いたまえ、学園長に掛け合って、操とキミを他所のクラスに移して、このクラスには出入り禁止にする」
「……乱暴だな……」
「喧嘩をしない、させないコツは、当人同士を合わせない、コレが一番単純で確実だよ」
「イヤだぁぁぁぁ〜〜!!」
「なら泣き止みたまえ。いい歳をした男が、なんでも涙で解決できると思うなよ」
「……ううぅぅ……わかっちゃいるが……改めて言われると腹が立つ……」
「それは、僕の言葉が正論だからだよ。正論を振りかざす奴ほど腹の立つ奴は居ない」
「それが解かってて言ってるんだから性質が悪い……」
「自分で頑張って、それでもどうにもならない時に頼れと言うことさ。面倒だからと最初から答えを与えたり、なんにでも手を貸していたら、相手を駄目人間にしてしまうよ。もし相手が、自分はダメ人間だと決め込んで、楽な道を選んでいる人間なら、正論を説くことすらしないさ。僕に口を利いてもらえるだけ、ありがたいと思いたまえ。では、僕は部活があるので失礼するよ」
「……言うだけ言って逃げたよ……」
「上手いこと言いくるめられたような気がする……修ちゃんって、政治家より詐欺師に向いているよ、絶対……」
「政治家と詐欺師じゃ、ナメクジの雄と雌ぐらい違うよ……」
「見た目じゃわからないよ……」
「見た目でソレとわからる詐欺師に騙される奴は居ない。ほら、帰るよ操」
「……うん……」


「どうする? また寄り道してなにか食べる?」
「……ううん、今日は良いよ。お母様にも、早く帰ってきなさいって言われてるし」
「そっか……」
「ごめんね」
「いや、気にしないで。昨日あんなことがあったばかりだしさ」
「……本当はさ、今日は学校を休めって言われたんだけどね……潤くんのこと、気になったし……」
「……俺?」
「うん……昨日の夜……ボク、一人で逃げちゃったし……潤くんどうなったのかなって……ずっと気にしてた……」
「あぁ……俺なら平気だよ。簡単には死なないみたいだから……」
「……死ぬとか……そういうのやめようよ……なんかリアルだよ……」
「まぁね……」

 実際に……身近で死人が出て初めて認識する死……。
 身近な人間の死を感じることで、自分も簡単に死んでしまう人間なんだと思い知らされる……。
 毎日の平凡な生活の中で、生きている自分が当たり前になってしまうと……この突然叩きつけられる現実は、結構キツイ……。

「どうしても学校へ行くって言ったら、すっごい心配させちゃった……車で送迎しようか? って……」
「してもらえば良いじゃないか、歩かないですむよ?」
「……うん……でも……ね。そういうの、色々面倒だし……」
「……………………」

 操の家は……代々鉄鋼や造船で財を成した名家で……現当主である高柳成海は政界にも顔が利く、地元では最高の名士だ……。
 ところがそんな高柳氏にも悩みがあって……世継ぎと言うか……そう、高柳夫妻には子供が居なかった……。
 そんな夫妻が、生まれて間もない子供を施設から引き取って養子に迎えた。それが……この操って訳……。
 タダでさえ金持ちの家の子だってことで目立つのに、この容姿にて、この性格……。
 金持ちの家に拾われた子と揶揄されて、よく苛められていた。
 操が車での送迎を嫌がるのは、周囲のそういったやっかみに等しい批難を回避するためで、普段からつつましい生活を心がけるようにしている……。

「……さすがにこの歳になれば、車の送迎ぐらいで冷やかすような連中もいないと思うよ?」
「うん、でもね、ボク歩くの好きだし……自分で歩くから、好き勝手に寄り道できるんだし……ね」
「今日は寄り道しないんだろう?」
「あ……うん。もっと人がいっぱい居れば、安心出来るんだけどね……最近、変な事件が多いから、あんまり遊んでいる人も居ないみたい……」
「……………………」

 ……そう言われてみれば……確かにこの時間にしては、人通りが少ない気がする……。夕方の駅前なんて、もっとたくさん人が居ても良さそうなのに……。

「……んん?」
「なに? どうしたの?」
「いや……そこの電信柱の下で、誰かうずくまってる……」
「どこ?」
「ほら、そこの交差点の、信号の横」
「……えぇ? 誰も居ないよ?」
「よく見なよ、ホラ。白い服着た女の人がしゃがんでるの、見えるでしょ?」
「……んん〜……?」
「あ、こっち見た……。なんであんなトコで座ってんだろ……あの人……」
「やっぱり居ないよ? 潤くん、どこを見ているの?」
「……あ……」

 ……あの人……顔が……。
 顔が半分……ない……。
 ……まさか……。

「どうしたの……?」
「……………………」

 ……やっぱりだ……左目を閉じると……見えなくなる……。

「……潤くん?」
「いや……なんでもない。どうやら幽霊が見えていたらしい」
「……や……ちょっと……潤くん? その手の冗談、やめない? ボク、オバケ嫌いなのしってるでしょ?」
「オカルト雑誌はよく読むくせに、こういうの苦手なのな」
「未知だから怖い、怖いから知りたいんだよ……知り尽くしちゃえば、怖くなくなると思う。話しかけてみようか、あそこの幽霊に」
「や、やめなよぉ!! ついてきちゃったらどうするの?」
「じゃあ、ついてくるなって、釘刺しとくか」
「いやいやいや、やめようよ、無視するのが一番だよ!!」
「ん〜……そうだよね。ただでさえ変なのばっかり憑いて来てる所で、これ以上のトラブルは正直ごめん被りたい……」
「ね……潤くん……」
「ん?」
「冗談……なんだよね?」
「なにが?」
「……その……幽霊が見えるとか……だって、そんなの今まで一度だってなかったじゃない……」
「……………………」
「……潤くん……?」
「……操……」
「な、なに……?」
「実は今まで黙っていたが……俺は吸血鬼なんだ……。今までは人間として生きてこれたけど……最近になって……本来の吸血鬼の血が抑えられなくなってきている……。急に幽霊が見えるようになったのも……恐らくはそのせいだろう……」
「……嘘……だよね……?」
「本当だよ……ほら、操……オマエの後ろに……」
「ぎぃぃやぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「……うぅわ! 急にデカイ声出すな!! ビックリするだろ!」
「び、びびびび、びっびっ!!」
「落ち着け」
「ビックリするのはこっちだコンチクショウめっ!」
「落ち着けって、冗談だよ」
「た……たたた、たちの悪い冗談だぜジョニー……」
「誰がジョニーか」
「ひ、ひどいよ潤くん……ボクがナーバスになっている時にそんな冗談……」
「悪かったよ、心配するな。もし幽霊が襲ってきても、俺が追い払ってやるから、な? 泣くな」
「な、泣いていないヨ?」
「声が裏返ってるヨ?」
「と、とにかく帰ろう、うん! か、かかか、帰るヨ!?」
「お〜い操、右手と右足が同時に出てるぞ、普通に歩け」
「ノノノノノノ……ノープルブレ−ム……」
「……ふぅ……」

 ……オバケ……化け物……吸血鬼……か……。
 まさか……幽霊まで見えるようになるとはね……。
 そりゃ……今までだって『あぁ、そこに幽霊居るなぁ』ぐらいの感覚はあった……。
 でも……こうもハッキリと見えるようになっちゃうとは……。
 それってつまり……もう俺も……普通の人間じゃないってこと……なんだよね……。

「……操? 大丈夫か?」
「……うぅぅぅ……」
「悪かったよ、こんなに怖がるとは思わなかった……」
「そりゃさ……潤くんが昔から、この手の怖い話をして女の子の気を引くタイプだったって言うなら、怖くないんだけど……。でも潤くん、今までは、どっちかって言えばオバケなんて居ないって、否定派だったのにさ……急にオバケが見えるなんて言い出すから……」
「冗談だよ、オバケなんて居ないよ」
「……本当に……?」
「いままで俺が嘘ついたことあるか?」
「……あるよ……」
 潤は嘘をついたことがあるようだ。
「……あるなぁ……えっと、どうしよう……?」
「……ボクに聞かれても……」
「じゃあ、仮にオバケが居たとしよう。あくまでも仮に」
「……うん……」
「もしオバケが居た所で、操には見えない、触れない、聞こえない。それはつまり、存在しないのと同じだ。違う?」
「……そりゃ……うん……そうだけど……」
「幽霊なんて物は、見逃したアニメ番組と同じだ、見れない物は見れないと割り切って、忘れろ。そんなのは、その存在を思い出した時だけ現れる幻想だ」
「むちゃくちゃ言っているよ……」
「うーん……こういうのの説明は、修の方が上手なんだよなぁ……」
「それに……もし見えちゃったら……?」
「ん?」
「もしね? なにかの拍子で、急にお化けが見えるようになっちゃったら……どうすればいいの?」
「見えない振りしてやり過ごすか、サインでも貰って、一緒に写真とって貰え」
「街で見かけた有名人かよ……」
「オバケの気持ちになって考えてごらん? 何もしていないのに、きゃーオバケー、マジキモーイって……普通にヘコむだろう?」
「う……でも……あんまり優しくして……気に入られるのもイヤだよぅ……」
「慣れ慣れしくしてきたら、あたしゃアンタのママじゃないって、甘えんなって、ビシャリと言ってやれ」
「……そんなこと言って……怒り出したらどうすんのさ……」
「怒られたら怒り返せ。ビビッてるからネメられるんだ」
「……う〜……やっぱり無茶苦茶じゃないかぁ……」
「気にするなよ、オバケなんて居ない」
「……昨日の夜の……あの犬はぁ……?」
「ただの野犬だよ。最近の野良犬は、いいもの食っているから大きいんだ」
「……承服しかねるが……」
「わかったよ、今度あの犬を見かけたら、もう人を襲うなって言っておくから、な?」
「……うー……またそうやって馬鹿にして……」
「精一杯真面目に対応してるつもりなんだけどなぁ」
「……もういいよ、そうやって子ども扱いしてればいいんだ……」
「拗ねるなよ、帰り道が怖いなら、家まで送ってあげるから」
「いいよぅっ! もうっ! ちゃんと一人で帰れるっ!! じゃあねっ!!」
「あ、おい、操……?」
 操は怒って帰っていった。
「怒らせちゃったかな……? 一応……正直に話したつもりだったんだけど……。……それにしても……」

 犬の化け物……か……。今のところ……心当たりは……今日転入してきたあの二人……と昨日の二人……。
 リアン・ディメルモールとゼノ・ジェイルバーン……。
 人間を下等動物としか思っていないような節があるリアンと……そのものズバリ、犬の化け物リカントロープのゼノ・ジェイルバーン……。  
 二人は自分たちじゃないって言ってるけど……本当なんだろうか……?
 そう言えば……リアンはあの後、どうしたんだろう? 昼休みに保健室に言った後、教室に戻ってきていない……。
 まだ保健室にでも居るのか……?
 帰り際にでも、様子を見てくれば良かったかな……?

「……!? 犬の声……っ!? ……!!!!」

 ……犬……犬か……普通の犬? だよね……?
 コイツ……なにを咥えてるんだ……? 人形……?

「ラッキ〜〜! ラッキ〜〜!! どこへ行ったんだい?」
 なにかを探す声がする。
「やぁ、こんな所に居たのかい? ダメだよラッキー、また勝手に逃げ出して……」
「……………………」
「あぁ、ごめんよ、この犬は僕が飼っている犬でねいつもこうして勝手に逃げ出してしまうんだ……ビックリさせてしまったかな?」
「……いや……その犬……なにか 齧ってるよ?
「あぁっ! 本当だ!! こらラッキー! オマエまた僕の大切な人形を勝手に持ち出して! ダメだって言っただろう!? もうコレで何体目だと思っているんだ? 仕方のない奴だ!」
「人形を集めるのが趣味なの?」
「ははっ……おかしな犬だろう? コイツはね、なぜか人形が大好きでね」
「いや、犬じゃなくて、キミが」
「あぁ、うん。大きな声じゃ言えないが、僕には変わった趣味があってね、おかしいかい?」
「いや……別に……」
「そうかい? キミは今、思ったね? なんだコイツ……男のクセに、人形を集めるのが趣味なのかって……いい歳をした男が、人形遊びか……気持ち悪いって……ね」
「……別に……?」
「きっとこの男は、裸に向いた人形の手足を引きちぎって遊ぶのが好きなんだ、関わらない方が良いって……そう思ったよねぇ?」
「そんなことしてるの?」
「いいや? ただ棚に並べて眺めているだけさ……」
 この男は人形を眺めるのが趣味らしい。
「こういうのを知っているかい? 男の子は、玩具を一つ買い与えられると、同じような物を幾つも欲しがる……。女の子は、人形を買ってもらったらその人形で遊ぶ為の家や家具を欲しがるってね……。……僕はね、典型的な男の子さ……同じような人形を何体も欲しくなる……コレクターと言う奴さ」
「そう」
「あまり趣味がない?」
「全然興味がない」
「……フフン……正直だね。僕が怖くない?」
「どうして?」
「別に? ただチョット聞いてみただけさ……」
「そう」
「さぁラッキー、帰ろう? もうすぐ暗くなる。早く帰らないと怖ぁいお化けが出るぞぉ〜?」
「……………………」
「じゃあ、キミも気をつけて。最近はこの辺り、なにかと物騒だからさ」
「うん、ありがとう……」
「じゃあ、また」
「……………………。なんだったんだ、今の……」


 同日 午後6時35分。
「……ただいま〜……」
 潤は帰宅した。
「おかえりなさいませ潤様! 遅かったではないですか、何処で道草を食っていらしたのです?」
「……んなっ!?」
「大方、どこぞの女子とでもイチャついて居られたのでしょう。私が倒れたと申しますのに、見舞いの一つも寄越さないのですから、とんだ薄情者ですのね」
「……な……ちょ……え? 待った待った! ちょっと良いかな?」
「なんです? ハッキリと申されませい」
「キミ、なんで居るの……?」
「ふぅ……やれやれです……この期に及んで口をついて出た言葉が『なんで居る』ですか? つくづくお間抜け様ですね、潤様」
「お間抜け様……?」
「こうしてわざわざ海の向こうから婚約者がやって来たのですよ? それを『なんで居る』とは何事ですか」
「ベルチェーー!! ベルチェーー!!」
「なんだ、騒々しい」
「これはどういうこと?」
「なにをそんなに驚いている。リアンには、既に学校で会ったのだろう?」
「そうじゃなくて! なんでこの人この家に居るのっ!!」
「……ほ? なにを言っている? リアンはオマエの婚約者なのだからこの家に来るのは当たり前だろう」
「俺は聞いてないぞ? そんな話……」
「いま話しているだろう?」
「事前に話そうよ! そういうことは!!」
「仕方がなかっただろう? 私だって、こんなに早く来るとは聞いていなかったのだよ。本来なら、オマエが完全に目覚めてから引き合わせる予定だったのだ」
「……じゃあ、なんでもう来てる訳……?」
「知らんよ。ただ単に、早くオマエを見たかっただけじゃないか? ディメルモール家ゆかりの者は、短気なことで有名だ」
「そこ! なにをコソコソ話し合っていますか!」
「なんでもないよ、リアン。この者が次期ブランドル家当主第一候補の荻島潤だ」
「存じております!」
「左様で」
「ハァ……もぉ……なんなんだよ……」
「潤、こちらはディメルモール家の四女リアン・ディメルモール様だ」
「……ハイハイ……存じておりますとも……」
「既に知っていると思うが、この方がオマエの許婚だ。これから暫くの間、この家でオマエと生活を共にすることになる」
「……あぁ……そう……」
「なんです? その態度。ディメルモール家四女であるこの私が、かくも犬小屋のごとく卑しき宿に寝泊りするのですよ? 卑下の一つも申すが礼儀でしょうに」
「この家は母親が俺に残してくれた大切な家だ犬小屋が嫌なら出て行けばいいじゃないか」
「……むっ……」
「例えこの家が犬小屋だろうと、ここは俺の家で、俺が家主だ。ディメルモール家だかなんだか知らないけど、この家を馬鹿にするなら今すぐ出て行け」
「……………………」
「……なんだよ……」
「…………フン…………」
「リアン、どこへ行く?」
「着替えてまいります! エルシェラントおば様! 夕食の支度が整い次第呼びに来てくださいな!」
「かしこまりました、リアン様」
「……………………」
「やれやれ、早速か……」
「……なんなんだよ……まったく……」
「まぁ、気にするな。リアンも相変わらずと言うかなんと言うか……悪い女ではないのだがね、プライドの置き場所が少しズレていてな……変な所ばかり上の姉妹に似ている……」
「……なにか……あったのですか……?」
「おぉ、戻ったかゼノ」
「……ヤキドーフを買ってまいりました……これで宜しいですか?」
「うむ、ご苦労」
「……リアン様はどちらへ……?」
「……まぁ、なんだ……つい今しがた、潤と口論になってな……今は上で着替えていらっしゃる」
「……そうですか……」
「メシの用意が出来たら呼べと言っていた、空腹をもてあましているのかもしれん、急いで夕食の準備に取り掛かろう」
「……先に始めていてください……後ほど私もお手伝いに参ります……」
「わかった」
「……………………」
「……潤様……少しお時間のご都合を付けていただきたいのですが……かまいませんか……?」
「どうぞ……?」
「……リアン様を突き放すような物言いは控えていただけないでしょうか……?」
「なら、俺を逆なでる様な発言を控えるように、リアン様に言ってくれ」
「……………………」
「『売り言葉に買い言葉、話にならない』って顔しているね……」
「……それがわかっていて、皮肉をおっしゃられるのですか……?」
「まさか……ただ理由ぐらい教えて欲しいなって……ね。一方的にあぁしろこうしろじゃ、納得も出来ないよ。納得する必要はないと言うなら、表面的に接するだけだし」
「……理由……ですか……」
「リアンを突き放すなと言う理由だよ。なにか理由だよ。なにか理由があるから、貴女は口もききたくない俺と話をしているんでしょう?」
「……私が潤様と口をききたくないと……なぜそう思われるのですか……?」
「……なんとなく……かな? ……肌で感じるって言うか……その人が俺をどう思っているか……なんとなくわかるんだよね。ゼノさん、俺のこと、嫌いでしょう」
「……はい……」
「……正直だね……理由は?」
「……リアン様に仇なす者は……誰であれ私の敵です……」
「俺がリアンに冷たくしたから?」
「……いいえ、それ以前の問題です……リアン様と婚儀を交わす身でありながら、貴方様はあまりにも不透明です……正体がわかりません……」
 潤の正体がわからないと言うゼノ。
「……正体の知れない存在は敵と認識せよ……それがリカントロープの理念です……」
「つまり? よくわからん男がリアン様に近づこうとしてるのが気に入らないと……そういうこと?」
「……有り体に言えば……そういうことです……」
「……なるほど……」
「ご理解いただけましたか……?」
「それは、リアン様に無体を働けば、狼女が黙ってないぞという遠まわしな脅迫?」
「……いかようにでも……」
「いきなり押しかけて来て、随分な言いようだと思わない? それって」
「心中はお察しいたしますが……私めもリアン様の飼い犬なりますれば……ご理解いただきたく存じます……」
「なら、俺も言わせて貰うけど、まず第一に、キミ達を呼んだのは俺じゃない……来てやった的な発言はやめて欲しい。それこそ売り言葉に買い言葉で、嫌なら帰れとしか言えなくなる。第二に、俺は間違っていると思ったことは、割とハッキリと文句を言うタイプだ……。例え相手が合衆国大統領であっても、カツ丼にヨーグルトをかけて食おうとしていたら、後頭部を殴ってでも止める」
「……ヨーグルト……? カツ丼にですか……?」
「例えばの話だよ、あくまでも物の例えだ」
「……すみません……」
「例え相手がリアン様であろうと、間違っていりことや、常識から外れた行為は遠慮なく正すし言ってもわからないよう子供なら、ハリセンで頭を叩いてでも反省させる」
「……ご自分の価値観を他人に押し付けるおつもりですか……?」
「他人の痛みや悲しみを理解できないようなら、無理にでも押しつける」
「……………………」
「……不満……?」
「……いいえ……それで結構です……」
「そう」
「……私には……兄が居ます……」
「……はい?」
「……貴方様が今おっしゃられた考え方は……私の兄に似ています……」
「あ……そう……? なんか俺、偉そうなこと言ったけど……それって全部、俺が母親に言われたことなんだ……。他人の立場になって考えられる人間になれって……」
「……兄も……同じ事を言いました……己の損得の前に、他人のことを考えろと……それは……闘いの時でも、敵の心を先読みすることで、不利を回避できる……」
「いやいや、そうじゃなくて……」
「おっしゃられる意味は理解できます……自分の基準ではなく、相手の立場になって言動せよということです……」
「うん……まぁ、そういうこと……。俺もまだ子供だから、全部完璧に理解出来るって訳じゃないけど……」
「まずは……理解しようとすること……ですね……」
「そういうこと」
「……了解しました……その件に関しては、私は何も異論は挟みません……リアン様をよろしくお願いします……潤様……」
「あ……うん……」

 ……あらたまってお願いされても……それはそれで、チョット困っちゃうんだけどな……。

「……潤様……この度は私めの戯言にお耳を傾けていただき、ありがとう御座いました……。私は、エルシェラント様のお手伝いに参ります……」
「……ゼノさん、料理は得意なの?」
「……刃物の扱いにはなれておりますれば……ご安心ください……」
「うん……よろしく……」
「……では……失礼いたします……」
「……………………。……価値観の違い……か……」

 他人の痛みを理解できないどころか、知ろうとすら思わないだ……。
 他人と真っ直ぐ向き合う気がないから、他人と真っ直ぐ接してもらえない、他人に本気で叱られたこともない……。
 自分以外の周り、親や兄弟を含めて全員を馬鹿だと思い込んでるタイプだ……あのタイプには、やたらと見覚えがある……。

「……修の奴、今頃くしゃみしているかも……」


「……あ……ゴメン……」
「気にせずとも構いません、ここは貴方の部屋です……」
「いや……でも着替え中なんじゃ……」
「良いと申しております。見られて困るような物などなにもありません……」
「いや、あの……俺が居たたまれないのですが……」
「すぐに着替え終わります……」
「俺、外に居るから、着替え終わったら呼んで……」
「……潤様……」
「……え?」
「…………その……えっと……先刻は……私の言葉が過ぎたようです……」
「……は……?」
「潤様の見になって考えてみれば、立腹するのも肯けます……ごめんなさい……」
「あ……うん……」

 なんだ、意外と素直な所、あるじゃないか……。
 でも……今までの言動を見てると、なんだか素直すぎて気持ち悪いけど……。

「……………………」
 リアンは着替えが終わったようだ。
「……え……ぁ……なに……?」
「まだわたしを許せない……という感情を抱えている様子ですね……」
「……俺の頭の中を読んだの……?」
「その程度のこと、わざわざ力を使わずとも、勘で理解できます……」
「……勘……ね……」
「両親や上の子の顔色を伺いながら生きてきた結果です、目を見れば何を考えているのか……大体の想像がつきます……。私のムーンタイズの源はそこにあるのです……」
「……リアン……キミ、弟か妹がいるでしょう……少し歳の離れた」
「……誰にお聞きになられました……?」
「ん……いや、なんとなくね……。やっぱり居るんだ?」
「……妹が一人……居ます……」

 やっぱり……修の家と同じだ……。
 親から掛けられる過剰な期待に応えようと、上の子は頑張る……。
 頑張っているから、親は安心する。
 安心しているからこそ、下の子には違う生き方をさせる。
 もっと気ままに、伸び伸びと育てようとする……。
 それが、上の子には、親の愛情の全てが下の子に行っていると錯覚する……。
 錯覚だって、気付いていても……やっぱりどこか割り切れなくて……我侭を言いたくなる……。

「……まぁ、わからなくはないけどね……」
「……なんです?」
「いや、少し考え事をしていただけ……」
「……そうですか……」
「なにか、俺に話しがあるの……?」
「……あの……潤様?」
「ん?」
「私では、ダメなのですか?」
「ダメって……?」
「貴方の婚約者として迎えるにあたり、私では不満なのですかと問うているのです……」
「うん……いきなりだからね……なんともいえないな……」
「それは私とて同じことです……所詮は互いの親族同士が勝手に決めた縁組……気に入らないのなら、ハッキリとそう申してください……」
「それこそいきなりだ、俺は自分が吸血鬼の血を引いているってことですら、まだ納得出来ていないのに……」
「私も、ディメルモール家を代表してこの国に訪れた身です、ダメでしたと、アッサリ帰る訳にもゆきません……。この縁談を反故にするにしても、それなりの理由を用意してもらわねば帰るに帰れません……。潤様、ハッキリと申してください、私のなにが気に入らないのですか?」
「……うーん……我侭な所……?」
「……う……私は女です、多少の我侭は仕方ないかと存じます!」
 なぜか慌てるリアン。
「むしろ物分りのいい女を気取って、己が本性を封印して接する女の方が、余程不誠実です。私は嘘は嫌いなのです」
「物は言いようだね……だったら、もう一度確認したいんだけど……」
「なんでしょう?」
「昨日の夜、公園で俺の友達を襲ったのは、本当にキミ達じゃないんだね?」
「くどいです! 違うと申したでありましょうに!」
「うちの学校の学生の血を吸ってロゥム化したのも、キミ達の仕業ではない?」
「違います!」
「……ふむ……」
「そもそも、吸血鬼とは言え、貴族ともなれば無闇やたらに血を吸ったりはしません。血を吸うにしても、相手を選びます。街で良さそうなのを見つけたからと言って、いきなり襲い掛かるような真似はしません」
「そうなの……?」
「それは人間で言えば、街で見かけた女の子にいきなり求婚するようなものです。血を吸い、己が因子を与え眷属とするということは、そう言うことなのです」
「……そう……」

 それってつまり……人間の男で言えば街で女の人にやたらと声をかけては、自分の因子を撒き散らすようなことで……恥ずべき行為ってこと?

「でも……そうなると、ここ最近の事件は一体誰が……」


「それで? わざわざ真犯人を探しに行くと?」
「疑われたままでは気分がわるいです。それに、そのような不逞の輩を野放しにするのは、吸血貴族としても色々と問題があります!」
「……潤様に対するエクスキューズですか……?」
「そ! そういうことではありません! これは吸血鬼の沽券に関わる問題で……!!」
「……あぁ……」
「なんですっ!?」
「……いえ……必死だなと……」
「がっ……だっ……ぐ……ぐだぐだ言わずにフェンリル探しに協力しなさい!!」
「では、私もお供しよう……」
「いえ、それは結構です! たかが犬コロ1匹! 私とゼノと潤様で十分です!」
「俺も行くの?」
「当然です! 私とゼノだけでは、退治したと言っても信用していただけないでしょう!?」
「……あぁ……」
「なんですっ!?」
「……いい所を見せたいのですね……?」
「うーるーさーいーでーすっ!! いいから行きますよ! 潤様!!」


「行くって……どこへ?」
「そうですね……まずは潤様がフェリンリルを見たという公園へいきましょう」
「……1度危険を冒した場所に、何度も現れるかな?」
「フェンリルと言っても、所詮は犬ッコロですからね、行動範囲は決まっています。一度見かけた場所には、再度現れる可能性が高いと思います」
「……なるほど……犬は毎日、縄張りをパトロールするって訳か……」
「そういうことです。上手く現れれば追跡し、現れないようであれば、ゼノに臭いを追跡させましょう」
「ゼノさんに……?」
「出来ますね? ゼノ」
「……はい、今朝、あの公園に行った時も、僅かですが、臭いが残っていました。追うのは簡単だと思います……」
「……じょあ、言ってみようか……」


 同日。
 八坂駅前商店街。
 午後7時12分。
「……ところで潤様? 犯人を見つけて、どうするおつもりなのですか?」
「……え? あ……そうか……見つけた後どうするか……考えてなかった……」

 ……犯人を見つける……。つまり……E組みの神崎さんをロゥム化し、殺した相手……。夜の公園で、操を襲った相手……。
 この二つの事件の犯人は、同一なんだろうか……?
 もし犯人を見つけたら……俺はどうするつもりなんだろう……?

「……とりあえず、犯人が見つかったら、話し合って、もうこんなことは止めてもらう…………かな?」
「潤様が見たのはフェンリル……つまり、ロゥムかした犬である可能性が高いです。話し合いなどまず無理だと思いますが……」
「……でも、犬をロゥム化した『親』が居るってことでしょう? その親は吸血鬼……って可能性が高いと思うんだけど……」
「ですね……一連の騒ぎの源を絶とうと思えば、その吸血鬼を見つける必要があるかと……」
「キミ、心当たりはないの?」
「あったらとっくに話しています。少なくとも私の眷属に、そのようにふしだらな者は居ません」
「いまこの日本に、吸血鬼って、何人ぐらい居るの?」
「12年前の調査では、約4千人という話でしたけれど……潜在的な者や成り損ないを含めれば9千人は居るのではないかと……」
「……そんなに居るの!?」
「たかが9千人です。その中でも、実際に血を吸い、他人に感染させるだけの力を持った連中ともなれば、恐らく20人と居ないでしょう」
「20人……か。じゃあ、その人たちを一人ずつ調べていけば、犯人に突き当たるんじゃ……?」
「理屈ではそうなりますけど、20人のうち多くは長崎と神戸に拠点を置いています。長年その土地に根付き、安住しているのです、わざわざ関東の田舎町に出てきて悪さをするような理由もありません」
「……そうなんだ……」
「まともな吸血鬼なら、こんな辻きりまがいのやり方はしません」
「まともじゃない吸血鬼って、居るの?」
「ん〜……千年に一度ぐらいの周期で、退屈を理由におかしな遊びを始める輩も居ますけど……そんな者は貴族とは言いません。まぁ、本来であれば、放置しておく所なのですけれど……このままでは潤様に吸血鬼に対するネガティブなイメージを植えつけてしまうでしょうし……」
「……吸血鬼がさ、なんかこう……手当たり次第に他人の血を吸うのって、良くないことなんだよね?」
「そうですね……吸われる側の合意を得るのが、まぁ、理想でしょう……。自分勝手に好き勝手にしていては、秩序が保てなくなります……。闇の世界にもルールはあるものです」
「そういう悪い吸血鬼を鎮圧したりする……吸血鬼世界の警察みたいな組織が、ダイラス・リーンなんでしょ?」
「ご存知なのですか?」
「……知っているって言うか……うん……一応知識だけは……」

 俺の学校に、手先が一人潜入していることは……黙っておいた方がいいかな……?

「つまり、ダイラス・リーンが犯罪吸血鬼を取り締まってるってこと?」
「いえ、彼等は吸血鬼の存在自体が犯罪だと考えているのです、オマケに偉そうに正義をぶつかわりに、糞の役にも立った例がありません」
「でも、手に負えない吸血鬼だったら……」
「それこそ彼らには任せられません、彼等の武器の大半が火薬に頼ったものです。そんな物、飛んでくるミサイルを竹槍で落とそうとするような物ですよ。吸血鬼が問題を起こした場合は、まずその土地を治める領主に相談して、然る後、相応の対応が取られます。ミサイルにはミサイルを、吸血鬼には吸血鬼を……手に負えないほど凶悪な吸血鬼には、吸血鬼を当てるしかないのです……。嘗て落ちた魔王をを狩っていたアルクェイドのように……」
「……ダイラス・リーンにも、吸血鬼とペアを組んで仕事をする人も居るんでしょ?」
「お詳しいですね……誰に聞いたのです?」
「……ベルチェ……かな?」
「かな……とは? そんな話を聞くとすれば、おば様しかいらしゃらないでしょう。まさか潤様、ダイラス・リーンと内通している訳ではないですよね?」
「……まさか……」
「惑わされてはダメですよ? 彼らは手駒に使えそうな吸血鬼には、甘言を囁き、飼い殺しにします。吸血鬼が人間に使われるなどもっとも恥ずべき行為です」
「……覚えておくよ……」
「リアン様……よろしいですか……?」
「なんです?」
「……獣臭がします……近くに居ると思われます……」
「フフン……棒に歩けば犬も当たる……という奴ですね。足を棒にして歩けば、探し物に出会うと言うとコトワザです」
「違うソレ、逆。……でも微妙に合っている……?」
「ゼノ、どっちです?」
「……公園の方です。獣くさい臭いに混じって、血の臭いがします……」
「血のにおい……?」
「間違いありません。それに、あちらをご覧ください……」
「……あ……。……これって……」
「……血痕……ですね」
「……凄い量だな……」
「……まだ乾いていませんし……そんなに時間は経っていないようです……」
「……けが人は何処に……?」
「地面に血の後が点々と続いています……つまり、自力で逃げ歩いているか……」
「……フェンリルが咥えて歩いているか、どちらかでしょう……」
「早く探さなきゃっ!!」
「ゼノ、戦闘の準備を! ただし、殺してはダメです。泳がせて、飼い主の元へ案内させなさい!」
「……御意……」

 ……なんてこった……早速新しい被害者が出るなんて……。
 どうする……? どうすればいい……?
 そりゃ……止めなきゃ……だよね……。
 でも……どうやって……?
 一体俺に……なにが出来る……?



 同日。
 八坂駅前公園。
 午後7時26分。
「……血の痕が……途切れた……。ゼノさん、どっちに行ったかわかる?」
「……あちらの茂みの中にいます……。おそらく、捕らえた獲物を地中に埋めようとしているのかと……」
「……被害者も一緒ってこと……?」
「……血の臭いが濃くなっています……。間違いなく一緒に居るかと……」
「それで? どうなさるおつもりですか? 潤様」
「どうするって……」

 本当……どうしようか……?
 とりあえず、現状を把握する為にも、相手の姿だけでも見ておきたい所だけど……。
 何の策もなく対面した所で、不利になるだけだ……。
 ましてや相手は犬の化け物……飼い主が一緒に居ると言うなら別だけど……犬相手に話しが通じる訳もない。
 相手の出方がわからない以上は、迂闊な行動は取れない……。でも……こうしている間にも、あの血痕の主は生命の危機に直面し続けることになる……。


「どこまで逃げるつもりですか!?」
 黒鍵の雨が降ってくる。
「逃げ場はどこにもありません!!」
「なんで、先輩に追いかけられないといけないの?」
 さつきは、シエルに追いかけられていた。
 公園に追い込まれたさつきは逃げるのを止めた。
「逃げるのを諦めましたか? 弓塚さん?」
「どうして先輩が?」
「言っていませんでしたね。私は聖堂協会に所属している人間です」
「その先輩がどうして私を……」
「それが私の仕事だからです。理由は貴女が一番よく知っているはずです」
 シエルはさつきを退治しようとしている。

「ゼノ! あの吸血鬼を卑しき人間から助けてあげなさい!!」
 さつきを助けるように命じるリアン。
「ですが、リアン様!! あの衣装は……」
「あの衣装?」
「はい。あの人間は埋葬機関の者です」
「なんで埋葬機関なんて物騒な連中が居るのよ」
「そのことは、後でエルシェラント様に聞けば宜しいかと……」
「そうね……後でおば様に聞くとしましょう」
 後でベルチェに聞くというリアン。
「それよりもあの吸血鬼を助けてあげなさい」
「ですが、わたしが助ける必用はないかと思います」
「ゼノ!? 私の言うことが聞けないの?」
「私が助けに向かえばリアン様を誰がお守りするのですか?」
 ゼノはリアンを守る為に動けない。
「それに私が助ける必用はないかと……」
「どういうことですか?」
「闘いを見ていればわかります」

「弓塚さん。言い残すことがあれば聞いてあげます」
「言い残すことなんかないよ」
「では、大人しく神の御許に行きなさい!!」
 さつきに黒鍵を向けるシエル。
「先輩のよしみです。苦しまずに逝かせてあげます」
 両手の黒鍵をさつきに投擲する。
 どこから出しているのか、投擲後には次の黒鍵がその手にあった。
 その黒鍵の雨をきれいにかわしていくさつき。
「私と戦うのでしょう!? 逃げてばかりいては私を倒せませんよ?」
「私と戦うと先輩、無傷じゃ済みませんよ?」
「言いましたね。なら掛かってきなさい!! 返り討にして差し上げます」
「その台詞をそっくり返してあげるね」
 そう言って攻撃に出るさつき。
 振り回した腕が地面に突き刺さるタイルが爆ぜる。
「そんな大振りの攻撃は、私には当たりませんよ」
 それはフェイントでしかない。
 土埃に紛れシエルの懐に潜り込むさつき。
「う゛ぐっ!!」
 シエルの首をさつきは掴んでいた。
 それもシエルの首を掴んで軽がると持ち上げていた。
 首を掴んだままシエルを地面に何度も叩きつける。
「あはっはっはっはっ!!」
「がはっ」
 地面に叩きつけられるたびに血を吐くシエル。
「先輩、もう終わりですか?」
「ぐぅぅぅっ」
「私に二度とチョッカイ出さないと約束するのなら殺さないであげますよ?」
「約束なんかしません……。貴女は必ず血を吸って被害者が出ます。血を吸う前に殺します」
「交渉決裂ね……」
「弓塚さん、苦しみながら死になさい」
 そう言って首を掴んでいるさつきの腹に蹴りをいれ逃れる。
「うっ」
 腹に蹴りを入れられたさつきは苦しむ。
 その隙をシエルは見逃さない。
 すかさず黒鍵を立て続けに放って串刺しにしていく。
 あっという間にさつきの黒鍵串刺しの完成だ。
「もっと串刺しにしてあげます」
 追撃と更に大量の黒鍵でさつきを串刺しにする。
 串刺しにされたさつきが燃え上がる。
「これが現実です弓塚さん……」
 燃えるさつきに言うシエル。
「次は、貴方たちです」
 次は潤たちの番だというシエル。

「ゼノ!? あの人、やられてしまいましたよ」
「おかしいですね。私の見立てでは大丈夫だと思ったのですが……」
 潤たちに歩み寄るシエル。
「抵抗しなければ楽に殺してあげます」
 シエルは、潤たちに集中していてさつきに気付いていない。
 さつきの身体が再生されていっているということに……。
 ついでに服も修復されていく。
 復活したさつきがシエルの背後に立つ。
「油断大敵だよ? 先輩!!」
 そう言ってさつきはシエルの首の骨を折った。
 骨が折られたシエルの首があらぬ方向に曲がっていた。
「あの人、殺してしまいましたわ」
 だが信じられない光景を見た。
 死んだはずのシエルが復活したのだ。
「ふ、復活してしまいましたよ」
「先輩、まだ生きているんですか?」
「私、死神さんに嫌われていますから死ねないんです」
「ふ〜ん、そうなんだぁ。じゃあ、チョット本気で戦っても平気を出してもいいですね」
 本気を出してもいいかと聞くさつき。
「今まで本気じゃなかったとでも言うのですか? 弓塚さん」
「はい。10%も出していません」
 さつきは力を10%も使っていなかったようだ。
「先輩は、どのくらいの力で戦って欲しいですか?」
「全力で戦われる前に終わらせます」
「先輩は、死なないんですよね」
「はい」
「じゃあ、全力でいくよ!!」
「返り討にしてさしあげます」
 さつきVSシエルの第二ラウンドが始まる。
 開始早々、激しい肉弾、魔術戦が繰り広げられる。
 激しい戦いに言葉を失う潤たち。
「なんなんですの?」
「リアン様、もう少し離れてください」
 危険を感じるゼノ。
「大人しく殺されなさい!!」
「嫌です。先輩こそしつこいです」
「仕方ありません。素直に殺される気はなさそうですね」
「先輩こそ諦めて帰ってください」
「それは出来ません。弓塚さん、貴女を生かしておくわけにはいきません。貴女は危険な存在として処理しなくてはいけません」
 さつきを危険な存在と言うシエル。
「神の下で悔い改めなさい!!」
 そう言ってさつきに火葬式典、土葬式典、風葬式典、鳥葬式典を鉄甲作用をつけて投げた。  
 次の瞬間、周囲の景色が一変する。
「こ、これは固有結界……弓塚さん、貴女は固有結界まで身につけていたのですか?」
 
「ぜ、ゼノ!! これは、なんなんですか?」
 リアンも見たことのない現象に驚く。
「恐らくあの吸血鬼のムーンタイズかと思われます」
「あんなムーンタイズ見たことありません」
 リアンも見たことのないムーンタイズのようだ。

 空間が狩れ果てた砂漠に変わる。
 さつきの固有結界『枯渇庭園』だ。

「先輩、どうですか?」
「くっ……」
 さつきへ黒鍵を投げるがただの紙切れに変わる。
 空間内のあらゆる物を枯渇させてゆく。
「先輩、さっきまでの元気はどこへいったのですか?」
 シエルは、地面に跪く。


「潤様? 私たちの力も吸い取られていませんか?」
「……?」
「リアン様、私も力を吸い取られているようです」
 潤達をも固有結界に巻き込んで力を奪っているようだ。


「先輩、立つのも辛そうだね」
 さつきは、シエルを見下している。
「先輩は何をしても死なないんですよね。可也痛めつけても大丈夫ですよね」
 そう言ってシエルの胸倉を掴んで持ち上げる。
 それも軽々とだ。
「何か言うことが在れば聞いてあげますよ?」
 シエルは、何も言わない。
「辛そうだけど大丈夫ですか? 辛いなら楽にしてあげますよ?」
 ズン
 さつきの右パンチがシエルの腹に深々と突き刺さった。
「がはっ!!」
 腹に強烈なパンチを受けたシエルが口から血を吐く。
「先輩!! 苦しいですか?」
「うぅぅぅぅっ」
「まだ、意識があるんだ。結構強く殴ったのに……。今度は完全に意識を失うまで……意識を失っても殴ってあげる」
 そう言うとシエルを殴り始める。
 シエルの腹を何度も殴るさつき。
 シエルの腹にパンチが突き刺さる度に口や鼻から血が吹き出る。
 内臓が潰れかき混ぜられる音や肋骨が折れる音が聞こえる。
「う゛げぇっ!!」
 シエルの口周りは血で汚れている。
「う〜ん。30%まで力を強めるよ!! 血を吐きすぎて死なないでね」
 さらに力強めてシエルを殴るさつき。
 シエルの腹に叩き込まれたパンチは背骨をもへし折って身体がくの字に折れていた。
 そのパンチは、シエルの背中からさつきの拳の形が分かるほど深々と突き刺さっていた。
「う゛がっ!!」
 一際大量の血を吐くシエル。
「先輩今楽にしてあげるね」 
 そう言ってシエルを片手で持ったまま公園のポールをもう片方の手で引き抜いた。
「先輩、暫く眠っててね」 
 シエルを投飛ばすと間をおかずに右手に持っていたポールをシエルに投げた。
 投げたポールは、シエルの腹を貫き背中に貫通しシエルを木に磔にした。
「この剣も返しておいてあげるよ」
 シエルの黒鍵を手に取ったさつきは、シエル目掛け手投げた。
 投げられた黒鍵は、シエルの身体にこれでもかというぐらい串刺しにした。
 シエルのほうに歩を進めるさつき。
「先輩に暗示を掛けておいた方がいいよね」
 そう言って意識を失っているシエルの目を無理矢理開いて暗示を掛けた。
 暗示を掛け終わると固有結界を解いた。


「早く帰ってご飯を食べて寝よう……」
「キミ……」 
 さつきに声をかける潤。
「私?」
「キミ、なんであんことをしたんだい?」
「シエル先輩、しつこいんだから……」
「たったそれだけの理由で人を殺したのかい?」
「殺してはいないよ。先輩、死ねないとか言っていたから」
「死ねない?」

 死ねないなんて聞いたことがない……。
 人はいつか死ぬ……。
 ベルチェなら知っているかもしれない……。
 家に帰ったらベルチェに聞いてみよう……。


「そう言えば、昨日のお返しがまだだったね」
「昨日のお返し?」
「潤様!! その女は誰です?」
「昨日、私の裸を見た代償を払ってもらうよ」
「潤様!? 今の話、本当なんですか?」
「見たのは事故だ!!」
「潤様、私という者がありながら見ず知らずの女の裸を見たのですか!?」
「リアン、だから事故なんだって。其の娘、服を燃やされたから……」
「そこの貴女、裸で私の潤様を誘惑しないでくださいまし」
 さつきに潤を誘惑するなと言うリアン。
「今はそんなことを言っているときではないのでは?」
「潤様、家に帰ったらじっくり話しを聞かせてもらいますので覚悟して置いてください」
「……うん……」
「それよりも今は、フェンリルを……」
「キミ、どれくらい強いの?」
 どれだけ強いかさつきに聞く潤。 
「多分、二十七祖に入れるくらい強いと思いますよ」
「リアン様?」
「二十七祖って完全に化け物クラスじゃない」
 さつきを化け物クラスというリアン。
「シスターを倒した位なのです。戦力になるのでは?」
「得体の知れない者を信用するのは良くありません」
「そう言えば、黒いコートを着た男が『姫君の孫』がどうとかっていっていたような……」
「『姫君』ってアルクェイドの事ですか?」
「多分そうだと思う」
「では、この人はアルクェイド・ブリュンスタッドの眷属ということですのね」
 どこかリアンは震えている。
「リアン様、震えていらっしゃいますが」
「ふ、震えてなどしておりません」
 だが声は震えている。




 あとがき

 やっと久住との戦闘直前まで来ました。
 予告どおりシエルとの戦闘は入れることが出来た。
 シエルの戦闘演出難しい……。難しすぎる。
 さっちん、シエルもボッコボコにしちゃった。
 でも、シエルは死なないから……。
 これでもかというぐらい徹底的にさっちんに痛めつけてもらいました。
 次はいよいよ久住との戦闘終了まで書きたい。



さつきとシエルの戦闘。
美姫 「いや、さつきパワーアップしたわね、本当に」
まさか、ここまでとはな。
美姫 「これからどうなっていくのかしらね」
今回はこの辺で。
美姫 「それじゃ〜ね〜」



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