設定は、とらはの方はAllエンドで恭也は誰とも付き合っていません。
With Youの方は、乃絵美は拓也に振られています。

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とらいあんぐるハート3×With You(伊藤 乃絵美)

ずっと二人で・・・

第三章 静かな一日
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もう、夜は涼しさが感じられるようになった季節。
季節の変わり目。夏から秋へと時間が移り変わってゆくとき。
わたしは、あまりこの季節の変わり目が好きではなかった。
なぜなら、体の弱い私は、昔、この季節の変わり目には熱を出して家で、一人で寝て過ごすことが多かったから。
でも・・・

「ふぅ。ごちそうさま」

お店のほうが忙しかったために少し遅目の夕食。
なんだか食欲が無かった私は、ほんの少し食べただけで席を立った。
少し体も重い。

「乃絵美、大丈夫か?少し疲れてるんじゃないのか?」

恭也さんが気を使ってくれる。

「うん。・・・・・・・大丈夫」

恭也さんにあまり心配は掛けたくないから、そう言ってしまった。
だが、恭也さんにしてみれば、嘘であることはバレバレであった。

「む・・・・。大丈夫なわけないだろ」

恭也さんには、私の強がりはあまり効果が無いみたいだった。

ぴと。

恭也さんの手が額に触れる。
冷たくて・・・・気持ち良い。

「かなり熱があるじゃないか。乃絵美がこんなになるまでどうして気付けなかったんだ」

恭也さんの慌てたような声が、なんだか遠くに聞こえるような気がした。

そして、乃絵美は気を失って、その場にゆっくりと崩れ落ちるように倒れてしまった。

「乃絵美!!!」

恭也は神速でも使ったかのようにすばやく、乃絵美の倒れたところに行き、抱き起こす。

「しっかりしろ!!!!乃絵美」

いつもの恭也からは考えられないくらいの慌てぶりだった。
その様子をその場に居た忠志・喜美恵・正樹は思いのほか、唖然とした表情で見ていた。

恭也はそんな三人に指示を出す。

「三人ともぼーっとするな!!!忠志さん、氷枕をお願いします。喜美恵さん、乃絵美のベットの準備を頼みます。
正樹はタオルと洗面器に水を入れて持って来い」

「「「はい」」」

三人は我に返って、行動を開始する。

乃絵美の気配を読めば、すぐにわかったはずだ。
恭也は自己嫌悪に陥っていた。が、今はそれどころではない。
少しでも早く、乃絵美を休ませることが先決だった。

熱で倒れて気を失っている乃絵美をお姫様抱っこで運ぶ恭也に乃絵美のベットの準備を終えて、リビングに降りてきた喜美恵に
一言言われた。

「恭也くん。私たちは乃絵美が無理しているのに気づかなかったの」

「俺だって、忙しさに気を取られてしまって、気づけなかったです。喜美恵さん、そんなに自分を責めないでください」

「ありがとう。それから、乃絵美のこと、よろしくね」

「はい。わかりました」


「・・・・あれ?」

ここは・・・わたしの部屋?

「乃絵美?・・・起きたか」

「恭也さん・・・・あれ・・・わたし、食堂に居たはずじゃ・・・」

確か、食事をしていて、あまり食欲がなかったために、少しだけ食べて、席を立ったのは覚えているけど、
そこで記憶が無くなってしまっている?

「乃絵美。食事を食べた後に、熱を出して倒れたんだ」

まただ。
わたしは、また・・・周りのみんなに心配をかけてしまっている。
周りのみんなや恭也さんに迷惑をかけないようにがんばらなきゃって‥‥‥‥そう願ったのに。

「ごめんね。・・・恭也さん」

「全く・・・どうしてそんなになるまで黙っていたんだ?」

恭也は心配そうなはたまた呆れたような声を出す恭也。

呆れられて当然だと思う。こんなに体が弱くて、迷惑をかけてる・・・つまらないわたしなんか・・・

「・・・乃絵美。すまない」

恭也からの突然の謝罪。

「・・・・・恭也さん、なんで?」

「本当はもっと早く気づいてやるべきだったんだ。俺自身にも油断があったんだ。本当にすまない」

「・・・・・そ、そんな事ないよ・・・・・。悪いのは・・・・」

そう言いかけた私の口元に、ぴたり、と恭也さんの指が押し当てられていた。

「む・・・・自分が悪いなんて言うなよ。乃絵美・・・・・。俺は乃絵美のことを迷惑なんて思ったことはない」

恭也は真顔で言う。
そう、この状態は、なのはに何かを言って聞かせるときに使う顔によく似ていた。

どうやら、わたしの考えは表情に出ていたらしい。

「うん・・・・。ごめんね。恭也さん・・・・」

恭也さんの顔が無表情に戻った。

「乃絵美。今日は遅いから、ゆっくり寝てしっかり直さないとな」

「うん・・・・。ねぇ、恭也さん・・・?」

「ん?」

「私が眠るまで、ずっとそばに居て‥‥‥‥ほしいな?」

そう言いながら、わたしの額の上に置かれた濡れタオルを、取り替えてくれた。
ひんやりして気持ち良かった。
おずおずと手を差し出すと、恭也さんは一言だけ答えて手を握ってくれる。

「乃絵美がそうして欲しいなら、いくらでもそばに居てやる。だから、心配せずに眠れ」

うっすらとした幸福感に包まれたまま、わたしは目を閉じた。

(む・・・・・。今日は鍛錬を休むか。この状態の乃絵美を一人にできないから・・・)


深夜2時。

乃絵美が倒れてから今まで、恭也は一睡もせずに様子を見ている。

「・・・・・」

誰かが二階に上がってくるのがわかり、恭也は家の中の気配を探る。

(この気配は、喜美恵さんか)

静かに立ち、音を立てずに、部屋を出る。

「恭也くん?」

「喜美恵さん。何か、用事ですか?」

「恭也くんが乃絵美の部屋から出てきたということは、ひょっとして、寝ずに看病してくれていたの?」

「確かに乃絵美の部屋から出てきましたが、寝ずに看病していたわけではないです」

「恭也くん?嘘を言わないの。乃絵美を心配してくれるのは嬉しいけど、このままだと、恭也くんも倒れちゃうよ」

ふむ。
やはり、バレてしまっていたらしい。

いや、少なくとも、喜美恵さん以外ならばれなかっただろう。
寝ずに看病していたこと。

「む。バレてしまったら、仕方が無いです。寝ずに看病していました。が、無理なんてしていません」

「・・・・・・」

喜美恵から疑うような視線を受けている。

「護衛の仕事上、二日三日、寝ずに対象者を護衛したこともあるのですが、信じていただけませんか?」

「・・・・・・。わかったわ。代わってて言っても聞いてくれそうにないね?」

「・・・・・・」

「いいわ。恭也くん、乃絵美をお願いね」

喜美恵は自分の寝室に戻って行った。



翌日

「ううん・・・・・・」

目を覚ますと、恭也さんの姿がなかった。
慌てて時計を見ると、もうお昼前。

「そうか・・・・。恭也さんは学校に行っちゃったんだ・・・」

私は一人で、ただベッドの上で過ごす一日はひどく寂しい。

「寂しいな・・・・。恭也さん・・・そばにいて欲しかったな・・・」

わがままな事はわかっている。
でも、口にせずにはいられなかった。
だけど、口に出すとなおさら寂しさがわたしを苛む。

コンコン

ドアがノックされた。
多分お母さんかお父さんだろう。
だから・・・なんだか返事する気になれなかった。
ゆっくりと部屋のドアが開いた。

「む?・・・乃絵美・・・起きたのか?」

えっ・・・・恭也さん・・・・!?

私は慌てて体を起こす。
ドアのほうを見ると、そこには、家に居ないとばかり思っていた恭也さんが・・・いた。

「な・・・・なんで・・・・学校は?」

「忠志さん達が、どうしても用事で家を留守にしなきゃならないっていうから・・・。正樹と話し合った結果、俺が留守を
預かることになったんだ」

だから、学校を休んでわたしの看病をしていたのだと、恭也さんは言う。
嬉しかった。
でも、ものすごく悲しかった。
わたしは、やはり恭也さんにとって重荷でしか・・・

「乃絵美・・・。俺がお前と一緒に居たい、って思ったんだ・・・だから、気にするな」

いつのまにかわたしの頬を伝っていた涙を拭いながら、諭すように言ってくれる恭也さん。

「乃絵美。これから言うことは俺の勘違いかもしれないから・・・、もし、間違っていたら気にするな」

そして、恭也は語り始めた。

「乃絵美は何かと家族に遠慮しすぎだ。忠志さんや喜美恵さん、正樹が立っている位置から、一歩下がったところで
様子を見ながら、傷つけずに済む言葉を選んでしゃべっている。違うか?」

乃絵美の瞳は驚きの色に染まっていた。

「さらに、俺やミャーコちゃんたちにも遠慮しすぎだ。他のみんなにはうまくごまかしているみたいだけど、俺には
違和感が残っているんだ。昔、初めて出会ったときの乃絵美とは違って見えていた」

乃絵美は観念したように一言二言言う。

「・・・・うん。恭也さんの言うとおりだよ。一歩引いているよ」

「・・・・・・・・・。いつからそうなった?」

乃絵美は涙をポロポロとこぼしながら、口を閉じた。

「・・・・・・・・」

「いつからじゃないな。乃絵美にそれだけの変化があったということか」

そう言った瞬間、恭也は悩んでいた。
自分が乃絵美に対して一つだけ、秘密にしていることを言うかどうかを悩んでいた。

「乃絵美?」

「・・・・・はい」

「俺の事を知りたいって言っていたな。受け止めるだけの覚悟があるか?」

「・・・・・・・・・・」

「乃絵美。どうだ?」

「・・・・・・・・・・正直に言いますね。恭也さんの秘密は知りたいけど、覚悟は・・・・まだ、ないです」

「ふむ、わかった。乃絵美。正直に答えてくれてありがとう」

「・・・・・・・」

「乃絵美」

「・・・・・?」

「俺には遠慮するな。側に居てほしいときは側に居てほしいと言え。泣きたくなったら、泣きたいと言え。
辛くなった時は辛いと言え。俺が全部受け止めてやるから」

その瞬間、恭也さんが私の知っている恭也さんとは違うように思えた。
私の全てを包んでくれているような懐の奥深さや心の強さ。
この時、私は恭也さんに惹かれていることを認識した。

初めて会ったときの呼び名で私は恭也さんにお礼を言った。

「・・・恭也くん。ありがとう」

そういうと恭也さんは心底からの優しい不器用な笑顔を浮かべ、頬を流れ落ちる涙を掌で拭ってくれた。
そして、そっとわたしの額に添えられた。
少しの間の沈黙。

「熱も、だいぶ下がったみたいだな・・・・」

「うん・・・・」

気分も、大分良くなっている。

「じゃあ、ちょっと、おかゆでも作ってこようか?」

「ううん・・・おかゆはいいから、もう少しそばにいて・・・」

そう言いかけたとき

くう。

小さな音だったけれど、恭也さんには聞こえたみたいだった。

「・・・。半日以上何も食べていないんだから仕方がないよ。乃絵美、別にどこかに行くわけじゃないんだから、
少しくらい待ってろよ?」

苦笑してそう言う恭也さん。

「う・・・うん・・・」

わたしは毛布で顔を隠しながら、小さく返事した。


わたしが恭也さんのお手製卵のおかゆを食べているときにふと、恭也が口を開く。

「そう言えば、乃絵美・・・」

しばらくおかゆを黙って食べていたわたしの側に座っていた恭也さんが、何気なく尋ねてくる。

「少々気になっていたんだが、何で俺のカッターシャツをパジャマ代わりにしてるんだ?」

「えっ?・・・そ、それは・・・」

改めて何故かと聞かれると・・・何故だろう・・・
少しだけ考えた後、出てきた答えは・・・

「ひ・・・秘密だよ・・・」

だって、本当の事なんてとても言えないから。

「む・・・。残念」

恭也さんは少し残念そうに肩を竦める。

わたしがその仕草にくすり、と笑うと、恭也さんは照れたようにわたしから視線を逸らした。
その視線の先には、わたしの机・・・
あっ!そこには・・・

「む・・・。これは、懐かしい写真だな。初めて会ったときに撮ってもらった写真か」

そう呟いて、わたしの机に歩み寄る。
そう。わたしの机の上の写真立てには、家の前で撮ってもらったお気に入りの一枚が飾ってある。

「懐かしいな・・・。忠志さんが撮ってくれたんだったかな?」

幼い恭也さんと幼いわたしが並んで立っている写真。
以前は、あの人の写真が飾ってあった場所。
でも、今はその写真は、引出しの底に眠っている。
私の心の中と同じように。
いつから、こんなにこの想いが強くなったのだろう。
かなうはずの無い想い。届くはずのない想い。
でも、少しの間だけでも・・・かなって欲しいと願うわたしがいる。届いてほしいと願うわたしがいる。
だけど・・・もし、少しの間だけでもわたしの想いがかなったとしたら、わたしは、そのときが過ぎ去る事に耐えられるだろうか。
わからない。
何故・・・恭也さんは今こんなに近くに居るのにどうしてこんなに遠い存在なのだろう。
そうでなければ、こうも悩む事は無かったかもしれないのに・・・
恭也さん・・・
わたし、壊れちゃいそうだよ・・・
でも、わたしがその想いを表に出す事は無い。
恭也さんを心配させないように・・・


「乃絵美・・・ちょっとビリヤード場のマスターがどうしてもって言ってるから、デリバリーに行って来る・・・」

「うん、恭也さん、行ってらっしゃい」

夕方、わたしの気分も良くなってきた頃、店のほうに掛かってきた電話。
お父さんたちもまだ帰ってきてないので、店は閉めていたんだけど・・・常連さんが『どうしても』と言うのであれば仕方が無い事だから。
恭也さんが居なくなって、少し寂しかったわたしは、着替えて店のほうにおりる。
メイド風のこの衣装・・・幼い頃は、お母さんが着ていたこの服が憧れだった。
この服を初めて着た日、お母さんが凄く誉めてくれた事をよく覚えている。
店は人気が無く、薄暗かった。
先刻、恭也さんが淹れたのであろう、コーヒーの香りがうっすらと漂っている。
そのまま照明もつけず、ピアノの前に座る。
鍵盤に指を置く。
そのまま、無意識に曲を奏ではじめる。
1曲弾き終えたところで、小さな拍手の音がして、我に帰った。

「いやあ、素晴らしい演奏だったよ・・・」

わたしの知らない人がカウンターに腰掛けている。いつの間に店に入ってきたんだろうか。
でも、その微笑は恭也さんに似ているような気がした。

「あまりにきれいな音色だったから、失礼だとは思ったが勝手に入ってしまった・・・すまなかったね、準備中なのに・・・」

赤みがかった長髪を軽く掻きながら、軽く頭を下げる。
二十代前半…だろうか…よく見ると肌が浅黒い。顔つきも、美形では有るけど少し日本人離れしている。

「あの・・・今はなにもお出し出来ないんですけど」

「ああ、構わない・・・勝手に入ったのは俺のほうだしね」

そう言って肩を竦める。

「店の外を歩いていたら、ピアノの音色が聞こえてね・・・澄んだ音色だったけど、すこし気になったものだから・・・ね」

「えっ?気になったって・・・?」

そうわたしが聞き返すと、すこしその人の表情が硬くなった。

「・・・君は・・・悩みを抱えているね?」

わたしの瞳をじっと見据えて、その人はそう言った。

「人には言えない悩み・・・相談してもどうにもならない悩みだ・・・」

どきり、とした。

「多分、その悩みは誰に打ち明けても否定されるだけかもしれない。でも・・・でもね、俺はそうは思わない。
君の想いは純粋だから・・・」

そこまで言うと、その人はふっ、と肩に入っていた力を抜いた。

「そんなに難しく考える必要は無いかもしれないよ。時間が解決してくれるかもしれない。想いが変わるかもしれない・・・」

「今まで・・・」

思わず、わたしの口を突いて出た言葉。

「今までわたしの心の奥でずっと抱いてきた想いなのに!・・・時間が経っても、全然弱くならない・・・それどころか
表に出てきてますます強くなっていくばかり!」

自分でも、こんなに激しい想いを吐露したのははじめてだと思う。

「時間なんて、時間なんて・・・時間・・・なんて・・・いくら経っても、なにも・・・解決してくれない・・・」

幾度も感じた事がある。
それは、恭也さんのことを思い出したとき。
幼いわたしと幼い恭也さん。二人で居た時間が、永遠に続けばいいのに、と。
所詮叶わない想い。

「永遠はある・・・大切なひとときを、そのままとどめる事の出来る永遠はね・・・でも、それは未来を失うって事なんだ・・・」

その人は、再び厳しい顔をして、そう言った。
その内容は現実離れしていたけど、なぜかその人の口から語られると、本当だと信じてしまうわたしがいる。
未来なんか失っても良い・・・もし恭也さんと一緒のときが永遠に過ごせるなら・・・

「未来を失うのは、君だけじゃない。君の想い人もまた、未来を失ってしまう・・・それでも良いのかい?」

息を呑んだ。
わたしの心を読んだような、その言葉の内容にではない。
肯定の言葉を放ちかけた、わたし自身にだ。
わたしは、なんて弱いんだろう・・・
わたしのわがままで、恭也さんの未来まで奪って良いはずが無い。
なのに・・・

「でもね・・・人の心はとても弱い・・・このまま押さえつづけていたら、君の心は本当に壊れてしまいそうだ・・・
乃絵美ちゃん、一人だけで解決できる事なんて、何も無いんだ・・・打ち明けてみるといい。本当に信じられる・・・ただ一人に」

まるで風のように響く声。
はっとして顔を上げる。
先ほどの男の人は、いつのまにか姿が見えなくなっていた。
店から出ていった気配も無いのに・・・
いや、それどころか、誰かがいた気配すらない。
まるでさっきの人がいなかったかのように。白昼夢でも見ていたのだろうか・・・わたしはしばらくの間ただ立ち尽くしていた。


からん
ドアの開く音。
そちらを向くと、恭也さんがちょっと驚いたような表情をして立っていた。

「大丈夫なのか?乃絵美」

そう言いながら、そばに来る。
恭也さんはわたしの前に立つと、手を伸ばして、右手をわたしの額に、左手を自分の額に当てる。

「・・・よくわからん・・・下がっているように思うんだが・・・」

そう言いながら、額に当てた手を放す。
唐突に、恭也さんの顔が近づいてきた。
こつん。
額と額が軽くぶつかる。

「・・・、熱は・・・無いみたいだ」

恭也さんの顔が、すごく近くにある。
ほんの少し顔を動かせば・・・唇と唇が接触しそうな距離。
どうして・・・恭也さんはこんなにあっさりとわたしとの距離を近づけてしまうのだろう・・・
わたしが、妹のような存在だから・・・?
なにも・・・感じていないから?
わたしの胸は、こんなにも昂ぶっているというのに・・・
口から心臓が飛び出しそうだ。
ほんの僅かの期待を込めて、ゆっくり目を閉じようとする。

「乃絵美・・・?」

恭也さんの戸惑ったような困ったような声。
目を開けると、恭也さんの困ったような表情があった。
でも、さっきまでの極めて近い距離ではなく、いつもの距離。
馬鹿だな・・・わたし。
そんな事はありえないって判ってるはずなのに・・・
視界が曇る。
なにかがわたしの頬を伝って行くのを感じた。
わたし・・・泣いてる・・・

「乃絵美・・・」

恭也さんがわたしの名前を呼ぶ。
そして、わたしは恭也さんに抱きしめられていた。
わたしは、恭也さんの胸に抱きついたまま、ただ涙を流しつづけた。


「恭也さん・・・」

どれだけ時間が経っただろう。
やっと落ち着いたわたしは、恭也さんに抱きしめられたまま、ぽつり、と呟いた。

「ん?なんだ?乃絵美・・・」

優しい声。

「あのね・・・寝てるときに聞いてたでしょ?なんでパジャマ代わりに恭也さんのシャツ使ってるのかって・・・」

言えば、拒否されるかもしれない・・・
でも、もう言わずにはいられなかった。
さっきの出来事が、わたしの背中を押していたのかもしれない。
言葉を絞り出す勇気は、どこからとも無く湧いてきていた。
こんなにつらい想いは、もう嫌だから・・・

「秘密って言ったけど・・・本当はね・・・恭也さんの暖かさが感じられるから・・・なんだよ・・・。こんな風に、
恭也さんに抱きしめてもらってるみたいに、感じられるから・・・」

息を呑む音。

「恭也さんがすぐ近くにいてくれないと・・・安心して眠れないんだよ・・・」

「乃絵美・・・」

口をつく言葉は、止まらない。

「わたしがはじめて、恭也さんに対して笑顔を浮かべたときをおぼていますか?」

「・・・・」

恭也は押し黙ったままだ。

「恭也さんは、その笑顔を見て、『かわいい』って言ってくれたんだよ。その後、小声で『俺のお嫁さんにしたい』って言ってくれたんだよ」

「もう止せ・・・乃絵美」

恭也さんの言葉は辛そうだ。
でも、わたしはやめなかった。やめるわけにはいかなかった。

「わたし、恭也さんのお嫁さんになりたいよ。ずっと、なりたかった・・・初めて会ったときから、わたしには恭也さんが一番だったから・・・」

「・・・」

「他の人を好きになったときは忘れられたと思ったけど・・・でも、他の人は・・・わたしの一番になってはくれなかったから・・・」

だから・・・忘れられなかったのだろうか?
ひょっとしたら、わたしが忘れられなかったから、あの人は一番になってくれなかったのかもしれない・・・

「わたし・・・このままじゃ壊れちゃいそうだよ・・・」

「馬鹿・・・馬鹿だよな・・・俺も・・・乃絵美も・・・」

そう言いながら恭也さんはわたしの両肩を抱いた。
わたしもそう思う。本当に馬鹿だと。
だから、もう一度瞼を閉じた。
ほんのひととき・・・でも、わたしには永遠にすら感じられた。
恭也さんとの距離が、無くなった一瞬。
わたしの待ち望みつづけた一瞬。
そして、その時が過ぎると、恭也さんの気配が遠ざかってゆく。

「乃絵美・・・まだ病み上がりなんだから・・・早く寝ろよ」

わたしのほうを見ずに、恭也さんは二階のほうへ向かう。


夜になっても、お父さんたちは帰ってこなかった。
電話で連絡があって、どうも泊まりになりそうだ、と言う事だった。
お兄ちゃんは菜織ちゃんの所に泊まるって連絡があった。
だから、今日は恭也さんと二人きり・・・
夕方のことがあるだけに、少し意識してしまう。
恭也さんの部屋のドアをノックする。

「恭也さん・・・夕ごはん、出来たけど・・・」

「あ、ああ・・・」

音も立てずに、恭也さんが部屋から出てくる。
部屋から出てきた恭也さんは、右手に畳んだカッターシャツを持っていた。

「乃絵美・・・これ・・・」

「あ、洗濯物?」

そう言って受け取ろうとする。

「あ、いや・・・そうじゃなくて・・・洗濯はしてあるから、これ、乃絵美にな」

「えっ?」

「乃絵美が今使ってるカッターシャツは、約一ヶ月前にあげた奴だろ?だから・・・」

確か、今使っているカッターシャツは少し綻びが出てきているけど、まだ、着れる。
でも、恭也さんの好意を受け取ることにした。

「うん・・・ありがとう・・・恭也さん」

だから素直に受け取る。
受け取っただけで、なんだか恭也さんの体温を感じたような気がした。
取り敢えず自分の部屋に貰ったカッターシャツを置き、食堂に向かう。
恭也さんと二人きりで取る食事。
なんだか幸せな気分・・・

「美味い」

恭也さんは満足そうだ。
夕方の事には触れない。
お互いに、言わないほうが良い事だと、わかっているから・・・
ふと、恭也さんの顔色が気になった。
なんだか青ざめてるように感じたからだ。

「恭也さん・・・ひょっとして気分が悪いんじゃないの?」

「ん?そんな事はないぞ・・・」

恭也さんは否定したけど、わたしは恭也さんに近づき、額に手を当ててみる。

「わっ、恭也さん、すごい熱だよっ!」

「はっはっはっ・・・大げさ過ぎるよ・・・乃絵美」

恭也は乾いた笑みを浮かべて、否定した。
決して大げさになんか言っていない。慌ててわたしは体温計を探す・・・あった!

「はい、恭也さん、脇の下で体温計って!」

恭也さんは苦笑しながら、体温計を脇に挟む。
しばらくもどかしい時間が過ぎる。

「・・・38度もあるじゃない!もう、恭也さんもわたしに気を使いすぎだよ。今日はゆっくり寝ないと駄目だよ・・・」

まだ食事に未練があるような恭也さんの背中を押して、わたしは恭也さんを部屋まで送っていった。


「でも・・・やっぱり恭也さんって強いね・・・」

恭也さんの枕元。まだ食欲がある恭也さんの為に、リンゴをむいている。

「わたしなら、ちょっと熱が出ただけで食欲なんて無くなっちゃうのに・・・」

「それは良いけど・・・乃絵美・・・その格好は?」

恭也さんが、少し呆れたような表情でそういう。
そう。今、わたしはl'omeletteの制服を着ている。

「・・・今日はね、今日だけは、わたしは、恭也さんのメイドさんだから・・・」

すこし悪戯っぽく言う。

「そっか・・・」

恭也さんは言われた事を理解できていないのか、きょとんとした表情でわたしを見ています。

「恭也さん。今日は、わたしに一杯甘えてください」

「甘える・・・・?」

恭也はこれまで、甘えられる立場に立っていたので、自分がいざ、その立場に立ったときに何をどう甘えればいいのかわからなかった。

「恭也さん?」

「む・・・・。甘えるという事がこれまでなかったから、どうすればいいのか、わからん」

「えっ?甘えたことがないの?親には?」

「親か。うちの家族は少々、特殊なもので、父親がいないから・・・・」

「ご、ごめんなさい。恭也さん」

「いや。いいよ。でも、甘えるという感情を抑制していたから、正直、甘えてといわれても無理なんだ」

「恭也さん、してほしいことがあれば、言って下さいね」

「ああ、わかったよ。乃絵美」


二人だけの・・・静かな一日。
恭也さんとの静かな時間は、日曜日、夕方にお父さんたちが帰ってくるまで続いた。


第四章「とまどい、そして・・・」へと続きます。




あとがき

ふぅ。
第三章が書きあがりました。
小鈴「今回は早いじゃない」
・・・・・
テンションがぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。
きょぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ〜
小鈴「京梧。うるさい」

プスッ
パタッ

小鈴「えっと、京梧が変な奇声を上げていたので黙らせました」
小鈴「ついに、ついに、乃絵美の想いが爆発してしまいました」
小鈴「そして、恭也と乃絵美の初めてのキス・・・(ポッ」
小鈴「さらに、謎の人物、現れる・・・・・。この人物が今後の展開に大きく関わって来ます」
小鈴「・・・・・・・・感想は掲示板にて、お願いします」




ついに乃絵美の想いが恭也へと。
美姫 「うんうん、良かったわね」
にしても、今後の展開に関わるというあの赤髪の人物は。
美姫 「気になるわね〜」
ああ、気になるな。一体どうなっていくんだろうか。
美姫 「次回も待ってますね」
待ってます。



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